マッチ売りの少女を助けられる人間になりたい

こんにちは。おぎーです。

よく自分の生きる目的とか、自分の人間社会における役割とか、結局自分は何をしたいのかといったことを考えてしまいます。

それらはよく分からないなと思った時期やあまりそういったことを考えなくてもいいのかなと思った時期もありましたが、最近は少しずつ分かってきたような気がします。

結構涙もろい自分

私って結構感傷的で涙もろいのです。たとえば、昔中学生の1年に時に学校で旅行に行った時の話です。

学校では往復のバスでお菓子交換をしており、私も張り切って準備をしていたのですが、その準備で私は、ピーナッツ味のチョコボールを買ったと思っていました。そのチョコボールは間違えてキャラメル味を買ってしまったのです。

それで、そのキャラメル味のチョコボールは自分の口には合わず、周囲の人もそのチョコボールを好きな人はいなかったので、お菓子交換もできず、あまりおいしくないなと思いながらキャラメル味のチョコボールを私は食べました

ー普通はここまでで終わる話だと思いますー

しかし、私は

そのとき少し前に、ガーナのカカオ農園の子供たちがチョコレートを食べられない現実をテレビでやっていたのを思い出してしまいました。ガーナのカカオ農園の子供たちがチョコレートも食べられない一方で自分はキャラメル味のチョコボールをおいしいと感じることができない。この不条理さに私は悲しくなり、修学旅行から帰って家に帰った瞬間に大泣きしてしまいました。そして、何時間かずーと泣いてしまいました。当時はそのことを家族にもうまく説明できず、心配されてしまいました。(旅行自体は楽しかったのですが。。。)

自分の役割ってそういうことだと思う

このエピソードは目の前のことに焦点を当てられない自分の不器用さを象徴しているように思います。平均的な人より感受性が強くて、変に考えすぎちゃったり、悩んじゃったりすることも多いような気がします。でもなんかそういう気持ちを大切にしたいとも思うのです。最近は寒いですが、寒い季節の童話にマッチ売りの少女があります。マッチ売りの少女はこんな話でした。

ある大みそかの夜、ひとりの少女が路上でマッチを売っていました。すべてのマッチを売らないと父親に叱られるため寒空の下に佇んでいますが、年末の忙しい時期のため、見向きもされません。
だんだんと夜が更け、寒さが増してきました。耐えられらなくなった少女が少しでも暖をとろうとマッチに火をつけると、灯かりのなかにあたたかいストーブやごちそうが現れます。喜びも束の間、マッチの火が消えるとともに、その幻も消えてしまいました。
ふと少女が空を見上げると、流れ星を見つけます。亡くなった祖母が「流れ星は誰かの命が消える象徴」と言っていたことを思い出しました。祖母は少女をかわいがってくれた唯一の存在だったのです。
次のマッチに火をつけると、そこに祖母の幻が現れます。
この火が消えてしまうと、祖母も消えてしまう。そう恐れた少女は、持っていたすべてのマッチに火をつけました。その火はとても明るく光り、祖母が少女を優しく抱きよせます。そして2人は共に天国へと昇っていったのでした。
翌朝の街には、燃え尽きたマッチを抱き、幸せそうに微笑みながら亡くなっている少女の姿があったそうです。

この話ではマッチ売りの少女は、自身の家にいること自体が不幸なこと。作家アンデルセンはそのような少女の状況を踏まえ、「彼女にとっては、祖母の魂と再会し、祖母と一緒に天国に召されることが1番の幸せだ」と考えていたようです。そのため、結末に対する読者からの不満の声があがっても、変更することはなかったといわれています。

しかし、私はマッチ売りの少女を助けられるような人間になりたいのです。そして、「生きているときにこの人と出会えてよかったな」と思われたいのです。

マッチ売りの少女を助けるには周りの人と同じようにしていてはいけません。適切な行動とは何かを自分で考え、気づくべきことに気づけるようでないとなりません。

街中を見ますと、電車ではスマホをほとんどの人が見て、周りに困っている人がいても気が付かない人が自分も含め多くいます。

でも、マッチ売りの少女を助けたい。そのために広い視野を持ち、ある意味感受性の強さを持ち続け、周りがーーーだからではなく、自分が良いと思った行動をとれるようつねに心掛けていきたいと思います。

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