![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/124375814/rectangle_large_type_2_5345ab0d998c63531416b82a5f1c22c4.png?width=1200)
【創作小説】つぼみのままの白百合05
↓ 04話はこちらです ↓
唐突に名前を呼ばれ、麻里亜は面食らった。何とか女性の相貌から記憶を辿ろうとするが、何も思い出せなかった。
「すみません、お名前をうかがってもいいですか」
相手は自分を「麻里亜ちゃん」と呼んでいるのだから、近しい関係だったのかもしれない。それでもどうしても改まった口調になる。
「あら、ごめんなさい。わたし吉岡です。吉岡マサコ」
吉岡とは、麻里亜の母の旧姓だ。
「あ……吉岡のお家の……」
「ええ、吉岡肇の妹です」
「……どうも……お世話になっております」
吉岡肇は、麻里亜の祖父だ。
マサコと名乗ったこの女性は、つまり母の叔母、麻里亜の大叔母にあたるというわけだ。
マサコは麻里亜の方を見つめてにっこり笑った。華やかな人だ。祖父は今年80歳になる。その妹なのだから高齢であることは間違いないが、まとっている空気は洗練されていて、都会的だった。グレーのショートヘアに、赤いイヤリングが映えている。
「一度、お会いしたことがあるように思うのですが」
おそるおそる麻里亜は尋ねた。ええ、とマサコは頷いた。
「麻里亜ちゃんが6歳ぐらいのときかしら。わたしの家に遊びに来てもらったことがあるのよ。静と一緒に庭で遊んでくれたわね」
「そうですか……」
「覚えてないのも無理ないわ」
静、という名前にも覚えがなかった。
「麻里亜ちゃん、東京でお勤めだったのねぇ」
何気なく、立ち入った話題を口にする。麻里亜は背筋がすぅっと冷えていくのを感じた。
「はい……すこし体調を崩してしまって」
言い訳するような気持ちになるのが悔しかった。
「2週間ほど前に帰ってきたんです」
「そう、休むにはちょうどいい場所ね、ここは」
しかし、マサコは気にもとめない風だ。
「わたしも若い時分は東京で勤めていたの。懐かしいわ」
その一言で合点がいった。マサコのまとっている空気は、たしかにここの地方のものではなく、東京のものだ。
「何をされていたんですか」
「仕事?百貨店の売り子さんよ。あの頃は本当に楽しかった」
過去に思いはせるマサコの柔らかな眼差しを見て、麻里亜の胸は鈍く傷んだ。麻里亜の東京での生活は、ずっと暗たんとしたものだった。
「マサコさんはまだ東京にいらっしゃるんですか」
「まさか。もう20年も前に帰ってきたわ。……わけがあって」
「すみません、何も知らなくて……」
「やだわ、いいのよ」
マサコはそういって、ふとショーケースに目を移した。
「チョコレートのムースと、木苺のタルトをくださいな」
はい、と麻里亜は示されたケーキを取り出し、箱を組み立てた。
「だけど、よかった。今日ここへ来て」
背後でマサコが言ったので、麻里亜は振り返った。
「はい?」
「いつも美里ちゃんがいるんだけど。わたしは麻里亜ちゃんに会いたかったから」
美里というのは母の名前だ。麻里亜は困惑してマサコを見つめた。どういう理由で20年も前に一度会っただけの麻里亜に会いたいというのだろう。
「ねぇ、麻里亜ちゃん。うちでアルバイトをしない?」
(つづく)