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LINEを返すのがめっちゃ遅い
皆さんは、文章を書く時。誰かの前で言葉を発する時。
文章に正解を求めてしまっていませんか?
僕はめちゃくちゃあります。
例えば、このnoteを書く時。
例えば、仕事の評価を書く時。
例えば、退職時の最後の言葉を言う時。
例えば、LINEを返す時。
例えば、誰かと話す時。
etc...
「こういう風に言えば喜ばれるかな?」
「こういう風に言えば返しやすいかな?」
「こういう風に言えば相手が望む言葉になるかな?」
言葉を選ぶというのは、相手に配慮するということです。
これ自体はとても良いことだと思います。
相手に配慮できないよりはよっぽどいいでしょう。
でも、相手が望む言葉を探しすぎて自分を見失ってしまっては、ダメだと思うのです。
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僕は、LINEを返すのがめちゃくちゃ遅いです。
20文字ぐらいの文を返すのに、30分ぐらいかかることもあります。
その理由は、
「この返し方だと相手が返信するのに困らないかな?」
「こう言うと相手はどう反応するだろう」
と色々考えてしまい、書いては消して、書いては消して、気づけばすごく時間が掛かってます。
周りの友人がLINEを返す速度を見ていると驚愕することも多々あります。
多分僕は色々考えすぎてるんだろうなぁ、とは思うのです。
「自分の性だから仕方ないか」
でもこうも思います。
「この言葉は本当に僕自身が心から感じて発した言葉なのかな」
相手に配慮する、と言うのは美徳だと思います。
でも行き過ぎると、相手に配慮しすぎて
自分の意見が相手に依存してしまったり、
言いたいことも簡単に言えなくなったりします。
これの対処法は正直今の僕にはわかりません。
おそらく、7つの習慣でいうところの
第一の習慣「主体的である」
あたりだと思うのですが、
第四の習慣「WinWinを考える」
第五の習慣「まず理解に徹し、理解される」
が見事に邪魔してきます。
ただまあ、第一というぐらいなので、
第一の習慣「主体的である」
の方が優先されるのだと思います。
「主体的である」というのは、
アドラー心理学の「嫌われる勇気」
にも通づるところがあります。
相手に依存せずに相手に配慮できる、いい塩梅を目指していきたいものです。
「言葉を取り戻せ」