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生命線が短いコンプレックスの話

コンプレックスは誰にでもある。

私も沢山のコンプレックスを抱えている。

目が小さい。
鼻が低い。
顔が長い。
前歯がでかい。

そんな抱えきれないほどの
コンプレックスのなかでも
私の結構大きなコンプレックスに
「生命線が人より短い」がある。

友達同士で手相占いをして遊ぶと
大体わたしは凹む。
みんなに「短いね~」と言われて
ちょっと変な空気になる。
まあ手相も変わるらしいからね~などと
謎のフォローをされる。

これが私のコンプレックスのひとつだ。

生命線が短い。

もちろん手相占いなんて曖昧なものだし
月日が経つにつれて変化するし
気にすることじゃないのはわかっている。

けど、私はこのコンプレックスのおかげで、
自然と「人生の終わり」を
意識するようになってしまった。

そういう癖がついてしまった。

誰しもいつ人生の終わりを迎えるかわからない。
あの人にはもう会えないかもしれないし
明日突然、なんてこともあるかもしれない。

そういう意識をもって生活するようになったのは
多分私の短い生命線のせいだ。と思う。

(この記事にも詳しく書いてます。)

人の人生の話を聞くのが好きだ。

どういう幼少期を送ったのかとか、
どうしてこういう出会いがあったのかとか、
どんな経緯があって今ここにいるのかとか、

勿論、綺麗な話や楽しい話ばかりではなく、
悲しい話や辛い話も聞く。

こういう話を聞くと、
ドラマみたいだな~と思う。

自分では「平凡な人生」と思っていても、
絶対みんなそれぞれのドラマを持っている。

それがおもしろい。
そして私はどんなドラマを描こう、と
よくワクワクしながら考える。

「THE PROM」というミュージカルの
「Tonight Belongs to You」という
曲がとても好きだ。

”One thing's universal.  
Life's no dress rehearsal.”

このサビのフレーズに何度救われたかわからない。

そうだ、私の人生はリハーサルじゃない。
生まれてから死ぬまで、ずっと本番だ。
ずっと私が主人公だ。

どんな人の人生もドラマだ。
私の人生も最高のドラマだ。

ドラマというものは、
必ずいつかは最終回がくる。

どのタイミングで、どういう展開で、
エンディングを迎えるかは誰にもわからない。

けど、いつかは必ず来る。

だったら私は、その時のために
少しずつ準備をしておきたい。

「私はこんなドラマを演じきったんだ」と
「こんな時に、こんなことを考えていたんだ」と
大切な人たちに伝え、残しておきたい。

準備といってもすごい些細なことだ。

こうしてnoteやTwitterに文章を書いているのも
毎日欠かさず日記を書いているのも
友達や家族に愚痴や本音をぶちまけているのも
そういう準備ともいえる。

iPhoneや銀行口座が開けなくなるのは困るので
パスワードとかは全部残してあるし
見られて困るものはきちんと消してある(笑)

いつ私のドラマが終わったとしても
大切な人たちの記憶には残りたい。
少しでも鮮明に思い出してもらいたい。

生命線が短くて、自然と「終わり」を
意識するようになったからこそ
私は、私の人生のドラマを強く刻んでいる。

こうやって、
今私が感じていることや、考えていることを
文字に書いて表現することができるって
物凄く幸せなことだと思う。

「動物園に行くと、動物たちが
 可哀想に見えてしかたない」という人がいる。

私はこの話を聞いたときに
ちょっとモヤっとした。

たしかに、
狭い檻の中で人間にジロジロ見られながら
生活する動物たちは「可哀想」なのかもしれない。

けれど、逆に私たちの
この「可哀想」という勝手な感情は、
動物たちにとっては
大きなお世話なのかもしれない。

きっとこの話の正解は、
動物園の飼育員さんもわからないと思う。

だって動物たちには
自分の感情を、鮮明に人間に伝える手段がない。

鳴いたり、表情を変えたりはできるけれど、
喋ったり、文字を書いたりはできないから、
彼らが「可哀想」なのかすらわからない。

それに比べてありがたいことに、私は
自分の感情を他人に鮮明に伝える手段がある。

歌・ダンス・絵・話す・文字に書く・・・

物凄い沢山の表現の手段が与えられている。

上手く表現できない曖昧な感情も
どうにか人に伝えようと、もがくことができる。

これって、とても幸せなことではないか。

先日、私が文章で表現した感情と
似たような感情を、偶然、
歌を歌う幼馴染が音楽で表現していた。

似たような感情も、
人によって表現の仕方は全然違う。
それぞれの伝え方があって、
それぞれのドラマの残し方がある。

これってとても美しいことじゃないか。

勿論、これらは今私が、
「表現の自由」が与えられている
国で生活しているからこそ可能なことだ。

ちょっと世界に目を向けると、悲しいことに
自由に自分の感情を表現できない人、
制限されてしまっている人が沢山いる。

私が生まれた日本では、ありがたいことに
憲法21条で表現の自由が認められている。

これって、とても恵まれたことではないか。

だからこそ、
私は自分の感情を表現することが好きだ。

感じたこと、喜怒哀楽を
むき出しにして生きたい。

そして自分だけのドラマを
なるべく鮮明に残したい。

今の私の心に正直になって
外に向かって表現したい。

ただ、自分の感情だけを主張すると
人様に迷惑をかけてしまう。
人間関係がうまくいかなくなる。

このバランスが難しい。

正しいバランスがわからなくて、
傷ついた経験、人を傷つけてしまった経験が
私には沢山ある。

だから、私は今まで自分の感情を
抑えてしまうことが多かった。

人に「何を考えているかわからない。」と
言われることが多かった。

けれど最近、こうして「文章を書く」という
自分が好きな表現方法を見つけた。

沢山の表現の手段があるなかで
私は文章を書くことが好きになった。
文字で感情を整理することが好きになった。

noteやTwitterなど、
自分を思いっきり表現していい場を見つけた。

だからせめて、ここでは、ここだけでは、
自分の感情をぶちまけたい。

嫌われても、引かれても、なんでもいいから
今の私の喜怒哀楽をむき出しにしたい。

生命線が短い、私の人生のドラマは、
今、ここに刻まれている。

いつドラマが終わったとしても、
21歳9か月の私の感情はここにある。


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