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『5Gハムレット』英文学専攻だった私が観た新しいシェイクスピア

岡宮来夢くんが初主演 『5G ハムレット』を観劇してきました〜!!

場所は品川 ステラボール


5人だけで演じる『ハムレット』


実は私、大学の時に英文学を専攻しておりまして、

頭を悩ませてきたシェイクスピアの劇を新しい形で観劇するということで、再び頭を悩ませてきました。

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率直な感想は「演出の力って凄い」

「この世は舞台 人はみな役者だ。」

というシェイクスピアの言葉を大切にした舞台だったなという感じがしました。


今回出演キャストは僅か5人。

出演のハムレットを演じる来夢くん以外がそれぞれ役を回しながら舞台が回っていきました。


だから舞台からはける瞬間はなし。

板の上の両端にそれぞれのキャストの衣装が用意されてて見える形で衣装替え

袖水すらも舞台の小道具になってました。


公演が続く間は常に観客の視線があり、役から抜ける瞬間が一切ないというのは緊張感がありますね!

ただこの演出がシェイクスピアが作品を通してずっと問い続ける「真実か偽りか」を表現しているということを考えると素晴らしい演出だったな〜と私は思いました。




今回 役者も素晴らしいですが

これを演出したのが凄い。

キャスティングも凄い。

そこも掘り下げて話をさせてください。




この舞台を男5人で回す意味とは

「男5人で回す」っていうのも意味があると感じていて、男5人なので作中に出てくる女性もみんな男の人なんですよね。


オフィーリアも男の人が演じてるんです。

でも見てる側は女性。


オフィーリアはハムレットのことを最後まで信じている女性なのですが、観てて思ったことは「オフィーリア邪魔やな」です笑(怒らないで)

きっとこれが本当に女性が演じてたらこうは思わなかったと思います。

男性から見た女性像が表現されてるから、『5G ハムレット』に出てくる女性は 愛に溺れ 最後になにも出来ずに死んでいく弱者 になるんですよね。

女性は自分たちがそんな存在ではないと分かっているからそういう芝居にはならない。


でですね、こうすることによって見てる側に何が起きたかって

客席全員がハムレットの味方になった。

です。



ハムレットは殺された父の姿を見るわけです。

ただそれは本当なのか。

確かに周りも父の姿を見てはいますが

その言葉すらもハムレットの狂気による幻想とは誰も思わないわけです。


だからこれを観てる時、他の方々も同じく女性を疎ましく、そして少し穢らわしいような気持ちになったんじゃないかと思います。同じ女性なのに。



ハムレット役に岡宮来夢くんが選ばれた理由

今回 来夢くん初主演なんです。

このあまりにも有名過ぎる作品を来夢がやる意味が何かあるんだろうとずっと考えてて

観たら分かったことがありました。


来夢が演じるからこそ ハムレットが例え狂気に狂った状態を演じていても 内にある「優しさ」とか「愛する人たちへの想い」っていうのが滲み出ていて、それが一層ハムレットが言ってることに真実味を感じさせるんですよね。


あと前にも言ったのですが、

何であんなに歌に歌詞が乗るんでしょうね

歌詞の1つ1つが流されずちゃんと心に届くこと

そういうところも含めて来夢くんが選ばれた意味を感じました。




私の感想

もちろん シェイクスピアという作品を現代に届けたかった。というのがあるのでしょうが

今 この情勢で舞台が公演をやりにくくなる中であえて古典の作品を公演すること。

改めて舞台というものの素晴らしさを味わって欲しいというメッセージなのかなと思いました。


シェイクスピアは演じる人によって意味が全然変わりますし、見てる方によっても解釈は様々。

私もこんな考察を書いてはいますが

もしかしたら全然違う意味があるかもしれません。


ただ  『ハムレット』のように「偽りか真実か」「死ぬか生きるか」など2択じゃなくてもいい。

それぞれによって違う解釈があっていい

その間には人の数ほどのグラデーションがあって、絶対的な真実などない。

そんなメッセージを感じました。


この言いようのないモヤモヤ感 笑

これぞ舞台

やっぱり私は舞台が大好きだなと感じた作品でした。



最後になりましたが、無事に大千秋楽まで駆け抜けられたこと

関係者の方々の努力のおかげです。

素敵な作品をありがとうございました!









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