楽をしたい、ズルをしたいという安易な考え方について思うところがあります。
こんにちは。二本柳亜美です。
災害などにより、新年あけましておめでとうというような言葉の似合わない年になってしまいました。
近頃、HSPなどを含め、仕事ができない人は、物事を考えようとせず、楽をしたいからだ。いわゆるズルをしている。という発言を多々見かけます。
そして、賛同するたくさんのコメントを見かけました。
病気や障害、未診断のHSPという申告、配慮を求めて、
あるいは盾にして、楽をしたいズルをしたい。という意見について、それは「相手は自分の鏡」ではないか?と仮説を立ててみました。
そして、自分のペースを乱すもの、自分の脳のリソースを使うものが「めんどくさい」と感じだから、「相手が悪い」という安易な考え方で、相手が悪いと非難したいのではないだろうか?と結論づけました。
仕事ができない人、いわゆる「できない人」は、好きで、できないわけではないです。他人に嫌われたい人などはめったにいないでしょう。この「できない人」(学校に行くことができない人も含む)が、ズルをしたいから。楽をしたい。という考え方を流布する人が最近、よく目にします。
病気の人は楽をしたいから、ズルをしてたいから、仕事やらができない。違いますよね。
安易に考えてしまうのは、人によって能力差や個体差があることがまず理解できておらず、「できない人」は「楽をしたい」「ズルをしたい」と紐づける。なぜならば、自分が楽をしたい、ズルをしたいと考えるから。
さらに、考えるだけならまだしも、サポートするという気持ちにはならず、「それはいけないことである」と思っており正義をもって罰を与えたり、排除しようとする。
やめてほしい。努力してもできない人はいる。
そして努力事態ができない環境下の人もいる。そういうことがわからない人の発言だろう。と私は考えました。
努力は必ず報われるわけではなく、社会は報われないときがある、つまり、結果を出せないのは「ズルをしている」「楽をしたい」からだ。という思考はそれこそが楽をして考えた結論であります。
仕事ができなかったり、言葉を持てない知能の人はいます。
一方的に知能の高かったり、コミニケーション能力、伝達能力が高い健常者に「仕事ができない人が悪いのは楽をしているから、努力が足りない」と言われても、それは理不尽な言葉です。
一部の恵まれた人にはわからないかもしれないだろうけれど、人生において決められたレールも「選択するもの」すらない。という人生があるということを知って欲しい。そして、きっとわかってくれると信じています。
また、考えもせず、頼み事やお願い事をしたりすることが多くそれも、楽をしたいからだという意見もみました。
なんでも人に迷惑をかけず、一人でやることがすばらしい。という考えの人はいると思いますが、人は失敗します。失敗するより能力の高い指導者や他人に聞いた方が成功率が上がります。またひとりで何かをするよりも、集団でコミニケーションをとりながらやる方が効率が良いときがあります。なので人を信用して任せたりお願いすることをします。決して、すべて楽をしたい、ズルをしたいというわけではありません。
生まれつき平均値以下のIQを持った50パーセントの人、病気や障害者、あるいは学業を受けてこれなかった人たちは、反論する場を持つことはとても苦手な土俵で「できない」。発言しないこと、できないことの理不尽さを知らないからです。そして知っても、打破することができません。
(この問題は、同じ職場で能力差がある人と働くことに問題があるので、仕事をする能力が合わない人は自分に合う場所で働くことをおすすめします。)
困っている人がいたらサポートする、手だすけする、愛を持って話を聞くなど、嫌いという態度を出さず、接してほしいと思いました。
できる人は、きっとみな努力はしているでしょう。
でも、苦労して努力することが美であるという無意識での相手への要求は、
やめてほしいところであります。
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