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本の感想と昔話を少し
早いもので夕方になろうとしています。でも日はまだまだ落ちそうにありません。
突然ですが、寺地はるなさんの本を読みました。
「架空の犬と嘘をつく猫」
あらすじは・・・、ググってください(笑)
まぁざっくり言うと、ある悲しみを背負った家族がいて、年齢を重ねる毎に色んなことを知っていったり、受け入れざるを得なかったり、笑ったり悲しんだり。色々あるのだけど最後はそこにある幸せに救われる。というお話かなと。
その中で主人公の男子(男性よりも男子の方がしっくりくる)が、妻に勧められて小説を書き始めるくだりがあるのですが、その男子は気づくのですよ。タイトルにもあるんですが、架空の犬を飼っていた時代があったことを。
現実では叶わないことを想像しながら、現実はもがいて、そして生きる。昔の私もそうやって生きていたことを思い出しました。
前にも書いた事なのですが、私は学生の頃、よく本を読んでいました。内容はともかく、読む行為に救われていました。本の世界にどっぷり入り込み、もしもこの主人公が自分だったらどんなに救われたことか、と何回も想像(妄想に近い)しました。当時の級友が見たらそんな私をキモいという目で見ていたと思います。今だったら分かる気がします。それだけ現実世界の私、から逃げていたのです。
今、SNSが当たり前になってきましたが、もし私が高校生の時にSNSがあったらどうなってるだろう。もしかしたらネットいじめ、みたいな、もしくはライン外し、みたいなことの標的にされているかもしれないな。割とネガティブに走る私。
SNSを見ていて思うのですが、歌ったり、踊ったり、何かをしてきている人たちって、学生時代の私みたいに、目立たず、ただ息をしているだけの毎日を過ごしていたのかな。とすれば、今の時代に17才の私がタイムスリップしてきたら、ユーチューバーみたいなことをするのかな。いわゆるバズるということを私もできちゃったりするのかな。もし今バズっている人たちがそうであれば、その意欲と勇気を私に少しだけ分けてくれたら嬉しいな。なんて図々しい私。
話はだいぶ逸れてしまったけれど、その主人公は架空の犬の話から始まり、小説を書く、ということになったのですが、主人公は架空の犬を撫でることで自分を落ち着かせていたのです。そうでもしないとやってられない。自分が自分でなくなりそうだから。
私も同じでした。でもこれを読む前の私だったら、許さなかった。主人公の男子が架空の犬を可愛がることも。高校時代の私が本の主人公に自分を重ね合わしていたことも、頭の中の想像世界で生きていたことも。全てが許さなかった。恥ずかしい、と思っていたからかな。そこに逃げている、という私を、私はずっと許してこなかった。
働き出して、色んな人にお会いして、そんな私を許してもいいんじゃないかと思えるようになってきたんだけど、どこかでその気持ちにブレーキをかけてしまっていた。そんな時にこの本を図書館で見て手に取ってみたんだよね。
この本を読んで良かったよ。
まださらけ出すには時間がかかるけれど、学生時代のそれがあったから、結婚して子どもを持って、今はこうしてnoteという手段を通して自己表現する機会を得られたわけです。ありがたい。バズるかどうか、これからの私次第。ということですな。
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