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ひとりの人が生きてきた足跡

20220828.

香水の匂いの好き嫌いはあるものだからこそ、私が使っている香水を私と同じようにいい匂いと感じてくれる人はなんだかそれだけで分かり合える気がして、自分と似ているものを感じて。心の距離が近く感じます。今日そんなことを感じました。

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吉本ばななさんの体は全部知っているより。

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短編小説なのでどんな場面かを先にお伝えすると、植物を大切にしていて植物の心の声を感じ取ることができる入院中の祖母。そんな祖母の体調は悪くなる一方で、見舞い終わり病院を出て祖母の部屋にある植物に水をやりにいく”私”。その私は、ふかふかの座ぶとん、眼鏡、文庫本、古い紙のような、祖母の匂い。そんな、部屋にちりばめられている祖母のささやかな人生をひとつひとつの物から感じてつらくなって部屋の電気を消した。そんな場面で出てきた言葉です。

私は無言で祖母の部屋に行き、遅くなってごめん、といいながら植物たちに水をやった。外の明かりにふちどられるように、生き生きと緑色だった。さっきやった水の滴がきらきら輝いていた。暗い畳にじっと座ってそれを見ていたら、なんだか少しずつ楽になってきた。これはひとりの人が生きてきたあたりまえの足跡で、悲しくも苦しくもない、どちらかといえば幸せないいものなのだという気がしてきた。(一部抜粋)

私もとても共感ができて、その人がこの場所にいた証ってきっと、その人がずっといたことで染み付いたその人の匂いや、その人の使いやすいように配置された物たち。少し前までいたんだなってわかるような少しくしゃっとなった枕やベッド。そんなふうにひとつひとつの些細なことがその人の生きていた証であり足跡なんだなと。

その人がここにいた事実を、そんなひとつひとつの証から確かめてはその人といた時間を思い出す。時にはその時間を忘れないように脳裏に焼き付けて、忘れたくないと強く願い、それでも忘れてしまったり。ひとりの人が生きてきたあたりまえの足跡を、私もその人自身と同じように大切にしたいと感じています。そしてそんな足跡をとても愛おしく思います。

同時に、自分が生きた証は自分が毎日過ごす中で知らない間に作られていったもの全てによって作られていたんだ、とも感じました。

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今日のお話の続きで他にも感じていたことがあって、たまに街中で落ちているレシートとか、回収するために集められているゴミ袋ってその人の生活が全てそこに集められている気がしていてすごく生々しいというか何だかリアルで…少し苦手だということに気が付きました。


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