「ひとりぼっち」のメガネ〜午後の公園にて〜
もうすぐこの辺りでも、行政からの新型ウィルス対策の自粛要請が明けるというニュースのせいか、久しぶりの晴天の日曜日だからか、近所の公園は家族連れでいっぱいだ。小さな子どもたちは、はちきれそうに体につまった生命力をほとばしらせながら、駆け回ったりブランコを揺らしたり、ボールを投げたりしている。
わたしは一人散歩に出て、そんな人たちに混ざり午後の日差しを浴びながら座っていた。ふと、以前だったらこういう時はそこはかとなく「ひとりぼっち感」が湧いてきてしまいこんな場所にはいられなかったなぁ、と思った。
わたしには夫はいるけれど、子どもはいないし世間的に特に役に立っている気もしていなかったから、いつも何処にいてもそこから外れた存在のように自分のことを思っていた。人が居ないのも寂しいけれど、仲間と連れだっているような愉しそうな人たちが大勢いると、なおさら寂しいという、自分でも持て余してしまうような面倒な人だった。そんな人だから家族連れで賑わう公園のような場所には居た堪れなかったのだ。
しかしここ数年続けてきている自分の心との対話のおかげで、見える景色はだんだん変わって来ているようだ。その長い長い対話の結論だけ言うと、ずっとわたしから見えていたのは偽りの景色だったらしい。わたしが孤独や寂しさのメガネをいつもかけて目の前を見ていただけだった。
今、わたしはたくさんの賑やかな声にかこまれて安らかな気持ちでここに座っている。