ぐらしあすの「アディクションその①(アルコール編)」
アディクション編は、あくまでぐらしあすの体験と一般的な定義であり、すべての人に当てはまる訳ではないことを申し添えておく。
アディクション=嗜癖。
嗜癖と言えば聞こえはいいが、アディクションの場合コントロール不能状態を意味する。
アルコールに関しては、購入しようとすれば、コンビニなら「年齢確認のタッチパネル」を押すだけでよい。
ただ、あくまでどう見ても未成年の場合、タッチパネルをただ押して購入できるか否かはコンビニ次第である。
ぐらしあすが思うに単なる事務的な動作であると思う。
また。自販機なら成年未成年を問わず購入できる。
厚労省の依存症人数については、医療機関にかかっている人のみを換算しているので、実際の人数は換算よりはるかに多いと思う。
アルコール依存症については、「否認の病」であると言える。
すなわち、自分は依存症ではないと。
一般的に1日における適正飲酒とは、ビールなら中瓶1本、日本酒なら1合であり、アルコール換算すると、おおむね20~25ミリグラムであるとのこと。
とするならば、アルコール度数5パーセントのビールのロング缶を3本飲めば、75ミリグラムとなり、それが常習化すれば依存症が多いに疑われるのは言わずもがな。
要はアルコールは合法ドラッグであるから、特殊であると言える。
数百円持っていればいくらかは簡単に購入できる。
それが故に、不適正飲酒が日常化し、出勤が出来なくなったり、日常の生活に支障が出てくれば、単に合法ドラッグだからいったい何?とも言えようが、人生の歯車を変えてしまう可能性は大きい。
アルコールをやめるには、AA(アルコホリクスアノニマス)や断酒会と言った自助集団がある。
ぐらしあすは見学として、1度断酒会に参加したことがあるが、夕刻時、飲酒に走りやすい時間帯に集まり、自分の体験をそれぞれ話す。
その時感じたことだが、アルコールを摂取しない自身の努力や方法を語るというよりか、なぜか家庭環境や、自身の過去や現在の心理状態を話していた。
ぐらしあすは不思議に感じた。
その話に何の意味があるのかと。
ただ言えるのは、断酒を決意した人々が集まること自体に意義があり、個々の決意が集団の決意として、目に見えない「ハイアーパワー」を結集させて断酒の継続を有効化しているのだと。
もちろんスリップ「断酒していたが飲んでしまうこと」もあるが、そこはまたリセットすればいい。
ある精神科医に尋ねたことがある。
アルコール依存症者が適正飲酒に戻る割合はいかほどだと。
答えは「約1パーセント」とのこと。
アルコールを購入できるか否かの仕組みを作るのは困難である。
ただ、「ICD‐10」にもカテゴリー化され、病であると定義するならば、横目で見続ける訳にはいかない。
単なる精神療法と投薬という矯正だけではなく、ご本人への理解、納得、そしてアルコールに代わる興味対象を獲得することが重要ではないかと思う。
最後に、上述記事は、ぐらしあす自身にも言い聞かせている内容でもある。