返投の間
会話はキャッチボールだといわれるけれど、わたしはボールが投げられてから投げ返すまでに一拍かかる。
理由は、はっきりとは分からない。
一拍かかっていることに気づいたのも、ひとに言われたからだ。
それまで、全然知らなかった。
不安になる と言われた。
そのとき理由を聞かれたから、なんて返したらいいか考えてる と答えたと思う。
咄嗟にしてはよく答えられたと思うけれど、やっぱりその答えは不完全だ。
その会話においてはそれで十分だった可能性もあるけれど。
聞いた声を言葉に変換して、意図を受け取ること、そして自分を確認して、回答を組み立てること、
それを、その一拍で行っているのではないかと思う。
一拍かからないひとは、聞きながらそれをしているのだろう。
わたしが一拍かかるのは、
話が終わるのを待っているからかもしれない。
意識して待っているのではないけれど、
話に割って入ることも苦手だから、いつも自然とそうなっているのかもしれない。
話を聞きながら答えを用意するということは、
相手のことを考えながら自分のことを考えるということだ。
わたしはその並行ができなくて、
言葉が切れてから、一度に意味を取ろうとするのかも。
声を音として一時的に覚えておいて、一文が終わったら頭の中で読み直しているのかも。
でも、無言は相手を不安にさせる。不安になるって伝えてくれたひとがいる。
だから、ええと と言ってみたり、ん、と声を出してみたり、している。
ええと、ああと、を鬱陶しく感じるひともいるだろうけれど、
それを抑えれば無言になる。
少なくとも今は、ええと、で、受け取ったことを示すしか、持ち合わせがない。