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深大寺演奏会聲明 2024/06/19-調布

 レイセンから手製無患子数珠型アクセサリーを拝領し、深大寺へとやってきた。ここ深大寺本堂でチェロ・リコーダー・リュートの合奏を、調布市の音楽祭の一環として行うのだという。

 ただし、それが目的ではなかった。本当の目的は、その前に行われるとあった深大寺僧侶による聲明を聞くこと。はたして聞いたことのあるものなのか。川越喜多院では天台宗僧侶による読経を聞いた。ここ深大寺も天台宗。読経と聲明との聞き比べを行うことも存外楽しいかもしれない。そう思って参加を決定、無事チケットも手に入ったためこの日は欠席するとレイセン達スタッフに連絡し、数珠を枕元に置いて就寝した。
 そうして迎えた当日、若干寝過ごしてしまったものの急いで準備を終え、忘れぬよう数珠を手首にかけて家を出る。もっとも車で移動するため想定よりも早く到着したため遅れることはなかった。すぐに深大寺本堂へと向かい、列に並んで開場と同時に席へ入る。けれども唯一の誤算は開場後数十分が経過しても聲明が始まらない事だろうか。
 もっとも、ずっと待ち続ければついに僧侶が8人やってきて聲明が始まった。
 喜多院で聞いた読経は、だいぶん聞き取り難いものの般若心経であることがわかり、合わせて詠むこともできると思われた。しかしながら聲明に関しては何を言っているのかさっぱりわからない。8人もが声を合わせるわけだから集中したいときのバックミュージックにはちょうどいいのかもしれない。なぜならば、何を言っているのかわからないからだ。言葉として聞き取ることができない以上、その意味を考えようとすればより深くへと意識が研ぎ澄まされてゆく。よってこれを聞いている間であれば、集中が持続するはずなのだ。
 出来れば目を瞑って聞いていたかったのだが、僧侶の動作についても見てみたい。そう思ってあえて目を瞠り目線を固定していたのだが、それがこの後の疲労に繋がるのであった。
 聲明が終わり、饒鈸であろうか。本堂の構造も相まってか強く反響して鳴るその音とともに8人の僧侶が退場していく。楽しかった時間も終わってしまうかと、おそらく会場内でただ一人気を落としていた僕は、見るべきほどのことはすべて見たと目を瞑った。
 この後こそが本番であるというのに、目的の事は見終えてしまったのだ。そう思って目を瞑り瞑想の準備に入った僕は、しかしながら再び目を瞠ることになった。
 演奏が始まってしばらく。僕は深く聞き入っていた。今回の主役の楽器であるチェロは勿論、リュートもその独特な音が大変良い。そして、なによりも良いと感じたのがリコーダーだ。僕も若干は横笛を嗜んでいるが、現状の難点は息の続かないこと。
 もちろん唇を歌口にあてているためにかなりの量の息を無駄にしているのだろう。よって可能な限り控えめに、音を小さくするよう心掛けているのだが、それでもうまくはいかないものだ。
 この演奏に聞き入っていると、いつの間にか時間が過ぎ去り終演となる。本堂へ立ち入る機会など普段はないだろう。辺りをじっくりと見まわしながらも名残惜し気に退堂し、入り口にある無患子の木の木陰で立ち止まる。この時は明後日に神代植物公園へと行くことを知らなかったが、それでもレイセン達「無患子族」と呼称されるメンバー(無患子石鹸を作るメンバー、無患子数珠を作るメンバー、無患子収集及び身を取り出す作業に従事するメンバーの3組に分かれる。僕は、1次産業として無患子収集係に任命されている)への良い報告ができた、そう思って参道へと向かい、その後は蕎麦屋に入って深大寺蕎麦を食べ帰宅となった。そうして翌日、教室へと入った僕は行き先が神代植物公園に決定したと聞いて唖然とすることになる。

深大寺山門
中央にあるのが無患子の樹。枝葉の影をよく見ると未だに実が残っている

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