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フリースクール活動日記 2025/01/07-大國魂神社

 昨年最後の活動が、12月の24日にあった。それから二週間が経ち、官庁御用始めが来た。今こそその時であると、活動開始が決まった。
 毎年1月最初の活動日にはどこか神社で初詣をすることになっている。今年の行き先は、昨年に引き続いて大國魂神社となった。
 10時30分に府中本町駅に集合した。このときは、あいにくの雨。しかしながら、その雨も40分ごろには止んだ。直前まで雨が降っていたため、大國魂神社は例年に比べて参拝客が非常に少ない。これ幸いと、一直線に拝殿へと向かった。
 先ほどまで雨が降っていたのだから、参道のところどころには水たまりがあり、神社内の「森」の木々からは時折露が滴り落ちる。その枝の末より垂りおつる露、かさなりつもりてしまとなりき・・・などといったほどではないのだが。空は狐の嫁入りと行った塩梅で、辺りの気温も少し上がったかのように思える。
 随神門をくぐり、中雀門をくぐって、拝殿に至る。やはり人は少ない。すぐに参詣を終えてしまった。だから、例年よりもゆっくりと過ごすことができる。ひとまず恒例の「人形流し」を行い、その後はメンバー各人思い思いに境内を巡る。すぐにこの日の食料を確保しに行くメンバーや、拝殿の様子を熱心に眺めるメンバー、境内社一つ一つを巡るメンバーなど、それぞれがグループを組み、スタッフが同伴している。
 境内内にはご神木として大きな銀杏が根付いていて、それが見上げるほどの高さに聳え立っていた。

 少し前、メンバーの一人が私に対して「やることなすことすべてが面白い」との評をした。それが決して嫌なわけではなく、むしろ誉め言葉であるのだが、私に言わせればそう言った彼の方にも同様のことが当てはまるのだ。「返し矢」という言葉が頭に浮かんだ。天若日子が鳴女を「天羽羽矢」で射落とした際、高天の原にまで届いたその矢を高皇産霊神が投げ返すと、その矢が見事天若日子の胸元を貫いたという伝説である。
 この高皇産霊神は、この際に「高木神」との名で登場する。この銀杏もまた、我々にとっては「高木」であった。天若日子は出雲に降ること八年にして、大国主命の娘を娶りついに高天の原に帰還することがなかった。
 「もし邪き心有らば、天若日子この矢に禍れ」と下された矢は、床に就いていた天若日子目掛けて飛び、その胸を貫いて殺した。
 関東地方には出雲系の神々を祀った神社が多いと聞くが、この大國魂神社もその一つであり、その本殿の真後ろに聳え立つこの神木は、高天の原の天津神が地上の現世の国津神を見張る、そういった意味を持って植えられたのかもしれない。いつどこに「返し矢」が飛んでくるかわからないのだから、自分の言動にはくれぐれも気を付けなければならないだろう。
 午後になり、遅れてきたメンバーとも合流を果たしたのち、最終的には武蔵国国府跡を見物し、解散となった。今日から新学期が始まったが、これからしばらくは気温も低く、場合によっては雪が降る日もある。体調管理には、これからも気を付けて過ごさなければならないだろう。

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