【エッセイ】見極める(完成と妥協)
私はデッサンを描いていたとき、作品を制作したとき、数える程度ですが、「もうこれ以上、手を入れられない」と感じた瞬間がありました。
木炭だったり、鉛筆だったりで描いた絵や彫刻作品に、あと一本の線を入れることができなくなったり、彫刻ももう触ってはいけない思ったりします。
おそらく、これが完成した瞬間なんだと思います。
以前、書いた高校1年生のデッサンは木炭紙が「もうやめて」っていう風に辞め時がわからず、起こった出来事でした。
私はこれは見極めができてなかったこその失敗であり、成功だと思っています。
なぜ成功かというと、私の忍耐力、集中力をはじめての絵で分かったのですから大収穫です。
次に訪れたのは、美大予備校時代の木炭デッサンでした。
浪人していてミケランジェロの石膏像を描いていた時でした。
午前中に描き始め、夕方4時くらいには描き上げるのですが、お昼ごろにはいい絵になる予感がしていて、講師にも「慎重に描くように」と指示をいただいてました。
(午前中にノっていい絵になりそう予感があっても終わってみるとそうでもなくて残念がられることもあります。)
午後の3時間、集中力、客観視、離れてみてくるいはないかのチェック。
何とか時間にはもう手を入れるのをはばかれました。
これらのように、手を入れることができなくなる現象がありますが、物事を突き詰めたからで、これは妥協ではありません。
これを妥協とする方は、本気で何かをしたことが無かったり、いつも「こんなもんか」「これでいいや」という気持ちでいるからじゃないかなと思います。
何かを一生懸命やる。
できなくて、悔しい思いをしても立ち上がる。
私はそういう人になりたいです。
もちろん、妥協せざるを得ないこともあるので、そこは見極めようと思います。