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様々なものに負けちゃった?戦い

先日二日間も仕事を休んでしまった。シンプルに心身不調。
頭痛と倦怠感で朝起き上がれず、気持ちも落ち込みきっていた。
(携帯電話がそばにあってよかった。ちゃんと連絡できた。)

1月は冬休み明けに早速流行り病を患い、高熱でうなされて三日間も休んだのに、今度はなんだい、とにかく体が重たいし頭が割れそうだ。
(体も頭も物理的にはデカめなんだけどそういうことではなくて。)

薬を飲んで白湯飲んで黒豆茶飲んでしばらく横になって原因を考えてみた。

ああ、私、昨日相当気張って生きていたなと思った。
まず朝の満員電車、都心部に住む人はわかると思うけど、もみくちゃにされながら通勤、これは毎日のことだから慣れたものだけどなんとなく昨日はしんどかった。
出社してすぐ夕方アポのカスタマに電話、後輩が対応予定だったので関係各位へ連絡して準備を整える。その直後、公休の後輩が担当しているカスタマからTELがあり代理対応、また別の後輩(だけど上司)の代理対応を3件、飛び込みのカスタマ対応を2時間くらいしてそのまま仕事を任せてもらえることになり、諸々情報登録と資料整理。一昨日から残っていたタスクを5つこなしていたら、また後輩(だけど上司)の代理対応。クライアントへの情報共有が甘すぎて問い合わせが入った。申し送りを確認したら、あまりにも言葉足らずな内容で単なる情報の羅列、人に伝える意識が全くないようなものでいろいろな感情が渦巻く。結局カスタマに直接確認をとる羽目になったけど、気持ちの良い応対をしてくださる方で本当に助かった。渦巻いた泥の濃度が少し薄まった。私も誰かにとってのそういう人でありたいと強く思った。
それも束の間、別部署の社員からカスタマ対応のサポートを頼まれる。私以外に頼める人間がいない状況だったし、相手の気持ちが救われるような人でありたいと思ったばかりだったから、もちろん気持ちよく応えた。
自分を良く言うようだけど、頼まれごとは断れないタイプ。それで相手がホッとしていたり、笑ってくれたりしたら、そんな満足なこと他にないもの。

喫煙のため席を立つといつの間に届いていた販促ツールに気付き、明日のスタッフが作業しやすいように整理して、少し休憩をとって業務整理をして退勤、したいところだったがその日に会話しておきたいクライアントから一向に折り返しが来なくて結局残業。
この時点でアドレナリンが物凄い量で放出していて、20時に帰宅して張り切ってお味噌汁とおかずを一品作って、洗濯してお風呂掃除までしてしまった。薬を飲んでも落ち着かず早寝ができなかった。

完全に自分の今のキャパを理解してあげられていなくて、
過剰適応状態だったと反省。
自分が自分の一番の理解者でいてあげないと、後で必ずツケがくる。

もちろん、その時の勢いを大事に過ごすことも必要な場合があるけれど、
急を要することは省いてよかったはず。

20代半ば頃は、後輩に対して「なんでやってないんだよ~」とか「タイミング悪すぎ、なんで私ばかりこんな目に…!」なんて思ってイライラしていたけれど、今はもうそんなことを考える気力も隙間も無い。
何度もキャパオーバーや鬱憤の爆発を経験したことで事象の受け止め方とか考え方が変わったというのもあるけれど、泣いたり喚いたり感情的に発散しようとすることが本当になくなった。とにかく体に影響が出てくるようになってしまった。
特に頭痛、倦怠感、時々発熱するなど。
かなり健康そうに見えるタイプだし、実際体はこれまでとても丈夫だったのに…だから余計気持ちが滅入るのかな。健康が取り柄だったのに…と。

一般的?には働き盛りで責任ある立場に置かれる年代だから、自分のキャパも理解できずに過剰適応した挙句仕事を休んでいることに後ろめたさを感じているのかもしれない。
でもそれは間違っている。わかってる。反省して変えられることなんだから、後ろめたさを感じる必要はない。その前に思考を変えるのが正しい。

言い訳をして良いなら、月経前症候群(PMSって言うらしい)、気圧の激動、もうすぐ満月というタイミングだったので、沼に足突っ込んで立ってるみたいな感じだったのかもしれない。

ここからは弱音と強がりだけど、
この心身の不調がホルモンバランスや体質というもので片付けられてしまったり、自分の思考や行動を変えられないとなれば、もう仕事の日数を減らすか職を変えるかしないと、生命力がいつもギリギリの状態で最期まで生きることになる。
それがしんどくて、生きる意味ある?生きるのしんどくない?って自分で自分を問い詰めて、人生を終わらせることを選択する人もいるのだろうな。

正直今の私、いきなり消えても何も悲しくないもの。
楽しみな予定があるけれど、それを過ごせなくても後悔しないだろうと思っているし、守るべきものもない。お母さんお父さんごめんね先行くねくらいしか思わない。
でも、それでも、何とか人生を刻んでいかなきゃとどこかでしゃんとしている(ギリギリだしとても小さな存在だけど)私が頭の片隅にいるの。
神様は人間をとんでもなく面倒くさいものに仕上げやがった。

わかってるの。
時が解決してくれること、救われることもたくさんあることを知ってるよ。
伊達に30うん年生きてないんだから。かかってこいや!
という気持ちで試合終了。

こうして書いて、数日後に読み返すと他人事のように「大変だったんだね、頑張りすぎたね」と受け止められる。
単純に調子が戻ってきているだけな気もするけど。
とにかくもう大丈夫、大丈夫。
明日も私のために私を生きよう。生活しよう。

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