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小説のようには上手くいかない

 2023年2月20日

 この前,川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」という小説を読んだ.最初に読んだのはちょうど一年前ほどで,二度目だった.

 恋愛には自分の姿がくっきりと映し出される.おそらく選択のないぼんやりとした日々を送ろうと思えば,送ることができるし,無意識でそういう日々を送っている人はいると思う.僕もそうだった.節々では壁にぶつかってはいるけれど,総じて難のないような日々を過ごしていた.でも,恋一つで日々は大きく変化する.自分の知らない弱さや傲慢さがむき出しになってもがき苦しんだ夜の次に,平気で俗みたいな幸せを浴びる夜がくる.知っている自分も知らない自分も次々に現れる.そのような状況下では,深い思考を余儀なくされる.目まぐるしく回る.自分の価値観の破壊さえありうる.恋心は幸も不幸も一緒くたにしてしまうけれど,その中から自分の安らぐ幸せを見つけ出す必要がある.嵐で大きくうねる波のような感情の流れがあって,ぐらつく価値観を必死に疑っては信じて,でも決して手を放さず,向き合い続ける.だから,恋愛は人を人たらしめるような気がする.恋愛は思考への起爆剤だと思う.

 この小説の主人公の姿は美しかった.恋を通して,無意識下で,気づかなかったものに気づき,考えなかったことを考え始め,知らず知らずのうちに行動が変化していく.思考をし始めたことに気づかない主人公ではあるけれど,自分の足でゆっくり進み始める.そして,知っている自分と知らなかった自分が重なり合ったとき,主人公は好きな人の元へ駆けていく.

 僕の価値観や生き方は,二年前に経験した失恋から生まれたもので大半を占めている.手つかずの大自然が,突如落下した隕石によって大きく変貌した.スクラップアンドビルド.この世の終わりのような苦しみの中で生きる基盤を見出した.それを,この主人公を見て,思い出した.

 この小説の中で,真夜中の散歩のシーンが出てくるのだが,無性に散歩したくなった.真夜中の街中に彷徨う光を全身で味わいたかった.なので,新宿駅から最寄りの三鷹駅まで,真夜中に歩くことにした.午前2時半頃,出発した.

 自由に軽やかに進んでいく.吹いている風は穏やかではあるけれど,静かに冷たくて,コートのポケットに手を入れる.冬の真夜中は空気が澄んでいるからか,往来する自動車の振動が直接肌を触れているような気がする.ヘッドライトを鼻から吸って,口から吐き出す.そんなお茶目なことさえ辞さないほどに,真夜中の光は美しい.人がいなくなった建物から漏れ出た光は,夜空へ混ざりあって消えていく.月明りを背に受けて,雲はじっと動かずに浮かんでいる.かさぶたのようだった.深呼吸するたびに身体は冬に染まり,やがて指の先にまで冬が訪れる.青や赤の光の玉は無慈悲にゆらゆら揺らめいて辺りに降り注ぐ.手のひらに乗った玉はふわっと崩れた.

 踊るように,ゆっくりと,歩みを進めていく.生きるものたちが吐き出した光を感じている.真っすぐ続く道路の先を目を凝らして見ている.規則正しく並んでいる街灯の光.夢と現実は地続きなのかもしれない.顔に纏う冷たい空気を手で払う.少し痛んできた身体を心地よいと思う.大きく吐き出した息は,中野の飲み屋街へ吸い込まれていく.

 真夜中を僕は歩いていく.光は僕の横を通り過ぎていく.あと少しで高円寺だ.走る車を横目に歩道を歩く.ぺたぺたと踏んでいく.ふくらはぎは突っ張っているような気がするが気にしない.とにかくいい.真夜中の光は綺麗.

 歩いていく.相変わらず光は綺麗.かじかんだ顔の皮膚が痛くて,マフラーを深く巻き直す.いったん止まると,一気に体が重くなった.ふくらはぎは鉄球を引きずっているよう.足の裏は伸びきったゴムのよう.腰は硬い木の椅子に縛られているよう.でも,光は綺麗だから.楽しいから.僕は真夜中の散歩が好きなんだ.歩き始める.もうだいぶ進んだかな.まだ高円寺を過ぎたばかり.まあ夜は長いから.時刻は午前三時半.

 手と足をひたすら動かす.ううん.体が痛い.それしか考えられなくなり始めている.台無しか.いやまだだ.でも,三十分前までの感傷は消え去った.代わりに現実の痛みがやってきた.光は綺麗,光は綺麗,光は綺麗,そう念じても,ふくらはぎの痛みは容赦なく横入りしてくる.ふくらはぎが縦の筋繊維に沿って悲鳴をあげている.若干膝も痛くなってきた.ここにきて新たな,しかも大分鈍痛か.ああ,真夜中の散歩.綺麗な光だ.美しい冬の空気だ.ようやく阿佐ヶ谷か.

 ももで足を動かし,二の腕で手を動かす.もう,最悪だ.正直,手も足も関節より下の部分が重いし痛くてたまらない.もうなんでこんなことになるのだろうか.感傷や美しい情景に包まれて散歩する予定は,体力不足による疲労と鈍痛により完膚なきまでにおじゃんとなった.思えば,いつもこうだ.初めて付き合った彼女と夜に一緒に歩きながらOfficial髭男dism「115万キロのフィルム」を歌っていたら,知らない人に声を掛けられて変な感じになったし,電車の中で見かけた青いスニーカーが空のようですごく綺麗で,その時ふと眺めた窓の外の空の色もまた綺麗な青でそれがすごく心に響いて,もう一度そのスニーカーを見たら,思ったより汚くて現実を知った.いつも上手くいかない.ふと早く帰りたいと言いそうになった.でもそれだけはぐっとこらえる.それを言ってしまったら終わりだから.ほら,見てみろ,もう荻窪駅だぞと自分に声をかける.三鷹ー荻窪間は僕の散歩エリアだから.あと少しだ,少しだ,光は綺麗だと呟いた.ただいま午前四時手前.

 三鷹駅に着いた時,思いっきり,早く帰りたいと声に出してしまった.もう東の空の白く霞んでいる.夜の皮が剝けて朝が見えていると詩的な表現が一瞬浮かんだが,すぐに靴擦れで足の踵の皮が剥けて痛い方に意識がすっ飛んで行った.もうなにもかも関係ない.情緒とか知らない.だって,もう痛いし.重い.感覚的には股関節と腕の付け根で歩いている.西荻窪駅あたりからは,人間をむき出しにしていた.感傷くそくらえだ!現実上等だ!もう既に午前五時過ぎだ!ああ,帰って眠りたい.頭の中は鈍痛,疲労,帰宅意欲でいっぱいだった.

 家へ着いた.一応手洗いうがいはして,ベッドへ倒れ込む.節々が熱を持っている.唸りをあげている.僕の想像していた真夜中の散歩はどこかへ消え去って行った.飛ぶ鳥跡を濁さず.頭によぎったが,そんな綺麗なものではないし,そもそも用法が合っているのかと思ったが,どうでもよかった.疲労感が半端ではなかったから.15 kmぐらい歩いた.痛い.粛々と痛い.やがてまどろむ意識.ふと三鷹駅で見たTULLY'S COFFEEのFFEEの部分だけ光っていた文字看板を思いだした.音にしたとき,タリーズコーヒーのーヒーの部分がーヒィーなのかなと,今考えるとまったく訳の分からないことを思った.ただそのような思えることがあっただけでも,散歩した甲斐があった.そう感じながら眠りについた.

 川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」は是非読んで頂きたい.あと,適度な距離の散歩が一番良い.


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