(小説)白い世界を見おろす深海魚 33章(仕草)
【概要】
2000年代前半の都内での出来事。
広告代理店に勤める新卒2年目の安田は、不得意な営業で上司から叱られる毎日。一方で同期の塩崎は、ライター職として活躍している。
長時間労働・業務過多・パワハラ・一部の社員のみの優遇に不満を持ちつつ、勤務を続ける2人はグレーゾーンビジネスを展開する企業から広報誌を作成する依頼を受ける。
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33
キャスト・レオのオフィスに到着すると、いつものように入り口に設置されている内線電話の受話器を取った。プッシュボタンに触れる。
「どうしたんすか?」
手の動きを止めたぼくの背中に向けて、上山が話し掛けてきた。
内線番号が一緒に書き込まれたオフィスの座席表を指差し、「いや……担当者のデスクの位置が変わったみたいで一瞬、迷っちゃったよ」と伝える。
青田さんのデスクは、その部署のまとめ役が座る位置に移動していた。ぼくの部署でいえば川田部長にあたるような。
出世したのだろうか。
平均年齢の若い会社だと聞いたことがある。それでもスーツ姿の男達に指示を出している彼女を想像すると、違和感があった。責任感やリーダーシップとはほど遠い、屈託ない性格をしているように装っているが、実はやり手なのかもしれない。
「どーも、お世話になってます」と、いつもの無邪気な笑みで青田さんがやって来た。上山を紹介する。
「では、メンバーが会議室にいるので、さっそくお願いしますねー」
目が合うと意味深に唇をすぼめた。
次の取材はキャスト・レオのメンバーで、「イキイキとした生活を送っている人たちの紹介」というものだった。数人の座談会形式で行われる。
ぼくは前回のように取材に付き添わないで、別室で青田さんと次回に発行する冊子の値段交渉をしていた。彼女は真面目な表情で見積書に一通り目を通す。金額を値切ったりすることもなく「分かりました」とだけ受け取った。形式的な用事を済ませた後、書類を封筒にしまいながら彼女の顔を覗く。青田さんは両手で茶碗を持ち、息を吹きかけながらお茶を飲んでいた。「寒くなってきたね」とラフな口調で微笑んできた。
「この寒さで、塩崎が風邪をこじらせているんですよ」
「かわいそう。安田君も身体を壊さないでね……」
茶碗をテーブルの上に置くと、中で揺れる薄緑色の液体を眺めていた。
「もし、安田君が風邪をひいたら……」と、青田さんが低い声で話し始めたとき、斎藤さんがやってきた。
「おっ、安田さんじゃないですか。会議室を覗いてみたら取材をしているから、もしかしたら……と思ってたんですよ。そしたら、ビンゴ。やっぱりここにいた」
かくれんぼをしている子どもが、友達を見つけたときのような笑みを浮かべる。彼はソファーに腰掛け、脚を組んだ。
「どうです。今夜一杯」と、ドラマで中年サラリーマンがよくやる、お猪口を飲み干す仕草をみせる。
またかよ……とウンザリしながらも、愛想笑いで承諾した。
「ハーイ、わたしも行くッ」
青田さんは手を勢いよく伸ばす。
「ダメー」
斎藤さんは腕を交差させ、バツの形をとった。
「今日は男だけで腹を割って飲み会をします」
はぁ? なんだそれ?
ぼくの顔を見て斎藤さんは話す。
「いいお店を知ってますよ。よかったら、ライターの方も誘って行きましょうよ」
「どうせキャバクラか、エッチなお店に行くんでしょう」
斎藤さんは「イー」と、口を横に広げて拗ねる。
そういう店って値段が高かったような気がする。多分、またキャスト・レオの奢りだろうけど……。大人の遊びというものを知らないから、ちょっと気が引けた。きっと慣れない場所に戸惑って、無駄な疲労をもらうのがオチだろう。
「じゃあ、今日は八時に池袋で待ち合わせってことで、また携帯に電話しますよ」
そう言って、彼は部屋を出て行った。
「会社にバレない程度に遊んできなよ」
青田さんはテーブル越しに、肘でぼくを突く素振りをした。
「いやぁ、まぁ……」
反応に困ったので、とりあえず笑っておいた。
つづく
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