"生"に対して感じる嫌悪について
世界はどうやってできたのか、人間として、一個体として生き、死んだ先には何があるのか。そんな答えのない問いを物心つかない時からずっとしてきた。
たくさんの学問について知見を得る度に、醜さもひっくるめて世界は美しいと思うようになった一方、その先に何があるとも知らず、ただその場の流れで、何となくで繋がれていく生。育まれていく命。その(今のところ)絶えない流れの中の一雫が私だということを実感する度に、「生まれてこれてよかった」という感情が沸き立つときもあれば、「生まれてこなければこんなに辛い思いをしなかった」と、やり場のない嫌悪感を感じることもある。世の中の醜さに呑み込まれて、世界のうつくしさを感じ取る感性を生かす余裕もない最近は、ますます感じる。
「若い頃はもっと厳しかった」だの、「しんどいのはみんな同じ」だの、「負けたらダメ」だの、そんなことを言われてしまうことが増えたが、私はこの世界の要素の一雫としてたまたま産み落とされただけで、望んで苦しみを味わうために存在してきたわけではない。(こんな言い方を親にすることは一生ないが)
これからの人生、新しい生命を生み出すことになるかどうかはわからないが、少なくとも生まれ落ちた後世に「頭ごなしに厳しさを押し付ける」人間にはなりたくない、と切に思う。