「筆跡」と「言葉選び」についての考察

手書きの筆跡や言葉選びは、人によって千差万別で似ている似ていないはあれど同じものはひとつしてない。育てられてきた、生きてきた中で様々な影響を受けながら構築されるもの、即ち「本人の分身」のようなもの、その人の為人を表す大切な要素だと思う。

力加減や払い方の癖、まるっこかったり角ばっていたり、小さかったり大きかったり。

記録物1つにしても丁寧に自分の言葉で書いているか、ただ適当に周りの人のコピーのようなことを書いているかは一目瞭然である。

怖くて近寄り難いな、と思う人でも、自分なりの言葉を綴った記録を目にすると、素敵だと思わずにはいられない。その人が新人である私の陰口を言っているのは知っているが、その裏には業務をきっちりと遂行したいという志があるのだ、と思い返す。しっかり業務をこなされる姿をみると、深い敬意が湧き出る。

まだできることはほとんどないし失敗してしまうことの方が多いけれど、与えられたことを、できる限りの力で誠意を忘れずに、率先してこなしていきたい。

そしてなにより感謝と敬意を忘れないことが大切だな、と思う。

いくら給料が発生していたとしても、未熟だからといって頭ごなしに叱っていい理由にはならないと思うし、結果、「叱られた理由」よりも「叱られて嫌になった」気持ちの方が色濃く残る。

立場に関わらず相手への敬意を持ち続けること、当たり前だと思わないこと、誰に対しても敬意ある言葉を使いたい。あたたかみのある言葉選びをする人でありたい。丁寧な字と言葉で、きっちりと「自分」を綴ることのできる人でありたい。

まずはハキハキと挨拶、感謝を伝えるところから、そしてきちんと記録物を記入するところから、と思いつつ奮闘している一新人の理想像の話。

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