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2018年の私へ。ねぎらいの言葉。そして無邪気な私をお迎えに行こう。

実はこのnote 。5年前から始めている。
5年前だから2018年。
あの時の私は、どんなに彼と一緒に過ごしたとしても埋まらない二人の関係性に悩んでいた。そして、周りにいる女性が彼に可愛がられていたり、無垢な姿で彼の周りにいる姿を見れば見るほど、自分の醜さに苦しめられていた。

久々に昔のnoteを開いてみたら、ああ、なんて苦しそうなんだと思ってしまった。そしてとても自分に厳しいのだ。

2018年の私のnoteを振り返る

このころ、彼と初めて音信不通になり、それが私が「会いたい」と言ったことにより、返事が無いという衝撃の展開で幕を開けた。当時の私は、メンヘラを発動していた。

3月~5月の約2カ月間。
当時はもう彼とこれで終わったのか…と絶望を感じながら、メンヘラにならなくていい安心感もあり、まぁ、ほっとけばLINE来るでしょ。と、大人になった私の余裕もあり、漫画読みながらゲラゲラ笑ってたときに彼からLINEが来てあっけなくまた連絡とるようになった。

※因みに、なぜこの時連絡を返してくれなかったのか彼に聞いたら、「だって、あのままだったら関係が終わる気がしたから」という、意味の解らないことを言われた。
嫌、むしろ終わったと思ったんですけど…。と思ったけど、彼の話を聞きながら「愛情が無くなるという意味の関係が終わるということだったのか…?」とも思った。さすが、何度も失恋経験してきただけある←

5月に再会して、7月にやっぱり彼のことを男性として見てしまうことや、付き合いたいと思ってしまうことを伝えた。伝えたらもう満足できると思っていたから、彼にはやっぱり付き合うことはできないと言われて。
終わり…のはずが、まさかそれが再スタートになってしまうなんて思わなかった。

好き。だけど彼氏じゃないから、隠さないといけない。私以外の女性と平気で仲良くする。どんどんモヤモヤが募っていく。
女性としての自信がどんどん無くなる。
11月は誕生日も彼の家でお泊りして、二人でプチ旅行もできたのに、他の女性と仲良さそうにしてる姿ばかりに自分の意識が飛んでいき、疲れてしまった。
その時書いたnoteがこれ。
当時の男性カウンセラーさんに慰めてもらいながら、頑張っていたのである。健気に。当の本人は惨めだと思っているんだけど、それくらい自分のことが情けないと思っていた。

「どうして、あの子のように彼の前で無邪気にいられないんだろう」
「どうして、私は幸せじゃないんだろう」
「本当は、戦いたくないし、争いたくないし。自分が一番愛されているって思いたいのに…」

うんうんうんうん(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)

いや、そうだよね!そうだよ。なんで、あなたがそこまで自分を責めるのぉ!!
そうやって「嫉妬させるようなことをさせる彼」
「私が安心できるように誠実な行動をしてくれる彼」
じゃないのに、頑張って信じたいって嘆いてるあなた…。
何も悪くないし、なんて綺麗な心の持ち主なの( ;∀;)

と、私は思います。めちゃいい子過ぎい!!
今の私だったらどうすんだろう。

「え、何調子乗ってんの?」
「オ前、イカレテルダロ」
「そうやって私を嫉妬させて、どんだけ気を引きたいんだお前はさ♡いい加減にしろよ♡」

でしょうか。可愛くないですね。笑

怒りの感情を感じる自分を、前より許すことができているのかもしれません。
そのうえで、じゃぁ、これからはどうありたいのかも、見るようにしますかね。

・彼が嫉妬させる必要が無いくらい、ラブラブしてあげる♡
・彼が誠実な行動や私を安心させてあげたいと思うような女の子になる→あんまり仲いいと不安になる。とかやきもち焼いている。とかかわいく伝えられる私がいいなぁ♡とか
・彼のことを考えてぶれない私になりたい。とか

でも、あの時の私もこういうことを考えていたんだと思うんですよ。
でもそれ以上に、自分の素晴らしさとか、魅力とか、美しさとか見えていなかったから、上記のようなあり方を望んでも、「こんな私がやったところで…」となっていた気がします。
そう思うと、やっぱり「自己信頼」「エフィカシー」ってとても大事なんですよね!
「私にも、できる!」って思えることが大事。

因みに、12月の末にもうだめかもしれない…と嘆いたのに、その2週間後彼と京都で過ごしているんだから、意味が解らないですよね!笑
その時も、彼はめちゃくちゃ「特別じゃないからね」の線を引いてましたけど…5年後の今でもこの時の二人の思い出には残っているようです。
(あまりにも記憶喪失過ぎて、なんか私との記憶残ってる?って聞いたら、京都に来たことと胸が大きいと答えた5歳児の彼)

https://note.com/amegoto/n/naf6e83777782

その後、京都から帰ってきて、楽しかったしまた東京で会おうね♡となるじゃないですか。ならないんですよ。彼は。この時は距離が近づいたら、少し距離を置くという…とんでもなくめんどくさい時期でした。
それで、彼の誕生日に一緒に過ごせるか解らなくてモヤモヤしていた時期な気がします。これ書いたときは。
でも、久々にこれ読んだ時に少し感動してしまって。
そう、大きな愛の矛先をどこに向けていいか解らず彷徨っているんだよな、あの人は。って、4年間の自分に納得させられた感じです。

彼の愛情をぜーーーーんぶ受け止められる器がある人を彼は探していて。
私は彼とそうなることが怖かったのです。
器も育ってなかったしね。
彼の強すぎる愛情を受けるのが怖かった。この私が、そんなに愛されていいのか?って思っていたのかもしれない。

だから、この5年間。本当の自分の器を取り戻したくて。
自分を救いたくて。自分を愛したくて。人を愛したくて。
心を偽りなく見せられる勇気が欲しくて。
がんばってきたんだよね。自分のためにね。
(実際総額350万くらいはかけてきたんじゃないかって思う。もっとかもしれない。)
ブランドのバックや洋服なんかより、自分の心が大事だったから。
自分の才能を生かすことが最優先だったから。

最初に上げた記事にね、最後に心理学用語の投影について書いてあります。

私が自分の愛がよくないものだと思えば思うほど、彼も自分の愛は良くないものだと思ってしまう。って。
私が5年間かけて得たものは、「私の愛って本当に素晴らしいんだよ!」って確信なんだと思います。つい最近も、親の呪いからようやく解き放たれて、「待って…ねぇ…私の愛って、深すぎ…。忍耐力すごすぎぃ」ってなったばかり。
自分の愛って素晴らしいんだなって思えば思うほど、彼も自分の愛って素晴らしいって感じられる。それってすごく素敵な関係だと思うの。
私が何年もかけて欲しかったのは、そんな自分だった。

私が彼を好きだなって思えば、投影で彼も自分が好きだなって思うと思うし
私がこれから怒りを感じても悲しみを感じても、その根底は彼を愛しているから。
そんな自分をもっと表現して行きたいの。

無邪気な自分と生きてみたい

1月7日に私がお世話になっているカウンセラーさんとお話をして、今の自分が気になっていることをお話させて頂いた。

その時のテーマは「しっかりしている」という言葉について。
しっかりしていることで、人を寄せ付けていない気がした。
私は自分の感覚より、世間体や倫理が頭をよぎる。
実は、自分でも自覚しているのだけど、私は根は根っからの芸術派で、
倫理とかルールとかぶっちゃけ苦手な感情人間なのだ。

自分がそっちに行ってしまうと止められなくなるから、それがスタートしないように必死に止めている。
無邪気な私というのは、私が一番恐れている部分かもしれない。
その子をずっと隠して生きてきた。
4歳から妹が生まれて、急に甘えることを禁じられるようになってきた。
自分の楽しいや、これ欲しいが、「我儘いうのはやめなさい」「お姉さんなんだからしっかりしなさい。我慢しなさい。」になってしまうなんて、4歳の無邪気な私は衝撃だっただろう。

これから、私が恋愛や仕事をしていくうえで、この子の力を私が必要としているんだってことが解った。

これがしたい。これを持ってみたい。こんな場所にいきたい。こんなことしてみたいなぁ。ここにこの人と行きたいな♡私もこれやりたぁい…。
これやってー。ここに連れってって^^。これって一緒にやれたら楽しそうだなぁ!寂しいから来てほしいなー!
こんな感じかな…?今思いつく限りの無邪気な自分…笑

でも、しっかりものの私が、急に天真爛漫で無邪気になったら
皆さん、驚きそうですこと…。でも、楽しみな自分がいる。
35歳無邪気。天真爛漫がお友達!
私の初恋の三宅健君のように、年齢を感じさせない大人で生きたいものですね。

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