二秒間の痛みと、果てしない恐怖と。
この文章を書いた当日、夜が明ける前に彼女は死んだらしい。
飛び降り自殺。
太陽を見ることを、青空を見ることを、自分自身で拒否したのだ。
『八本脚の蝶』とは、実在した二階堂奥歯さんという編集者が、自死を選択するまでの2年間を綴った日記を書籍化したものである。享年25歳。
私は、29歳までは生きたいと思う。少なくとも、現時点ではそう思っている。
だけど、30歳より先のことはよくわからない。
私の今の楽しみは、生きたいと思う理由は、動機は、その凡そが「若さ」というアイデンティティに集約されている。「若さ」があってこそ、今の私がある。
じゃあ、若い ではなくなったら?
若さと老いの境目を、人々はどう捉えているのだろう。
私はなんとなく、20代までが「若さ」の領域内だと思っていた。
そして幼い頃から、大人としての華やかなイメージを思い描くのは、いつだって20代までの自分だった。
でも私には、その先が存在するかもしれない。
存在するかもしれないことはわかっていたけれど、どうやっても30代の先を生きる自分をイメージすることは出来なかった。
30歳になった私は、何を楽しみに生きているんだろう。
結婚をするつもりはない。子供を産むつもりはもっとない。だから私は、私だけの人生と向き合って、考えて、私一人で責任を持って生きていかなくっちゃいけない。
かわいい服は、今と同じように着られるんだろうか。かわいいアクセサリーは、今と同じように身につけられるんだろうか。いい歳にもなって、アニメばかり観て。いい歳にもなって、本ばかり読んで。空想に逃げるな。現実を見ろ。いい人はいないのか。お見合いを取り付けようか。孫の顔は見られないの?貯金は溜まっているの?どうしてそんなにくだらないことばかりにお金を使うの――?
死にたくはない。痛いことは嫌だ。
病気にもなりたくない。苦しいことは嫌だ。
なんとなく、のらりくらりでいいから、適度にやり過ごして、老衰を迎えたい。出来る限り苦しくない死がいい。
でも、本当に私は、この先の障害を乗り越えられるんだろうか。
友達も恋人もまともにいないで、家族もいつまで生きているか保証もないのに、あらゆるものを失った後の世界で、たった一人で立ち向かえるんだろうか。
人生最後の夏休みが、あと数日で終わろうとしている。
目先のことが、いっぱい不安。
先々のことは、もっともっと不安。
私は偶然の産物によって出来上がった環境の中で、奇跡的に生きているんだと実感する。奇跡的に生を保てるバランスが整っているから、何とか今ここで息をしている。
でも、この先のことはわからない。
色んなことが変わったら、私の中の色んなものも変わっていくかもしれない。
いつ終わるんだろう。
終わることは怖い、でも終わらないことも怖い。終わるのが何時か、わからないことも怖い。
こんな恐怖を抱えて何億人という人々が毎日一生懸命朝を迎えていること、本当にすごい。
今は、私はやっぱり死にたくない。
朝を迎えられない自分を想像するのは怖い。
どうかこの先もずっと、朝がはじめられますように。
何十年後の自分が、あらゆる苦難や悪意に対峙出来る強さを、持ち合わせていますように。
この文章が、いつか倒れてしまいそうになった私への、分水嶺となりますように。