嫌がっているのにそれを続行し続けるネットアンチ民への対処法と気持ちを落とさないメンタルの保ち方

同じ人間なのにネットとリアル生活で交流している人達は何が違うのか?


普段の生活を送っていると、行動範囲が広くない限りは中々大勢の人達と面と向き合って関わる機会もなく、通常お仕事関連や家族、リア友など、決まった一定数の人達としか対面して交流する事ってないと思うんです。

たとえ接客業の人だったしても、一度にお相手する人数は限られています。大勢に対して演説する講演でも、相手を五感で感じる事ができ、その場の空気や雰囲気、服装、口調、表情など、ネットの文字のみでは伝わらない、或いは感じようのないメッセージがたくさん詰まっています。

私はこの五感で感じ取るメッセージが無意識のものであったとしても、非常に重要であると思っています。なぜなら、人は相手をよく知らない段階では、外見から相手はどういう人であるのかを判断するからです。

ここで注目すべきはネットで活動している人間です。

ネットではフェイスブックなど、本人である正確性や確認が求められるサービスもありますが、今現在SNSなどで求められている個人情報の提供が皆無に等しいサービスもたくさんあります。

これにはメリットもデメリットもあり、リアルの自分である必要もなければ、逆にリアルと結びつけて発信することでリアルの輪が広がることだってあります。

発信によってリアル行動では限りがあった方たちからお仕事のお話が来たり、共通のお仕事や活動、趣味を通じて繋がりを持つ方たちが増えたり。素敵な事や幸せな気持ちになれる事がたくさんあります。

しかし、ネットとリアルの違いというのは全く知らない人達だったり、真逆の価値観を持っている人達だったり、相手が自分を嫌う確立の高い人達だったりにも、容易に自分の発信している情報が行き渡ったり、相手の目に触れてしまう可能性が必ずあるという事です。

「ん?それなら、リアルの生活にも私を嫌ってくる人達っていうのはいるよ。」という人もいるかもしれません。

ネットアンチの人口はたったの4%

一般的に、統計からしてネットアンチの人口はたったの4%と言われています。他の96%のほとんどは相手に興味がないか、わざわざ関わりにいかなかったりする層です。その内の幾分かの層があなたと交流したり、親密になりたいと思ってくれている層なのです。

この事実を知ると、「なーんだ、ネットアンチって大した事ないんだね。」という事がわかると思います。

そうなんです、実はネットアンチの人口はとても少なく、ネットに存在しているほとんどの人口はあなたに対して興味がないか、友好的な態度で接してくれています。そんなに気にする必要は実は無いんですね。

面白いことに、最近私がとあるインフルエンサーさんのインスタグラムのストーリーを見に行った際に出ていた結果が見事にこの統計に当てはまっていました。

そのインフルエンサーさんはTikTokで撮影したムービーをストーリーに上げていて、「このムービー、好き?嫌い?」という投票を行っていました。結果は見事に好きが96%、嫌いが4%で割れていて、正直この統計を知っていた私は4%という数字を見た時にはちょっと変な話、少しばかり感動してしまいました。

ぴったし当てはまり過ぎていて、「やっぱりそんなものなんだな。」と立証されていたので、大げさに言ってしまえば確信のようなものさえ芽生えました。もっと色々注意してみてみると面白いかもしれません。

では、何故ネットアンチに追い詰められてしまう人がいるのか?

ネットアンチが人口のたった4%なのか、と知っているあなたは、たとえネットアンチに居合わせてしまったとしても、あまり傷ついたり落ち込んだりすることはないかもしれません。

なぜなら、他にあなたに好意を抱いてくれていたり、愛してくれていたり、友好的な交流を望んでくれている人達が存在することをあなたは知っているからです。

あなたが悲劇の主人公やヒロインを望まない限り、それらネットアンチ人口と関わる必要性は一ミリもないのだという事を心得ているからです。

不幸になってしまう時間をたった4%の友好的ではないと分かりきっているネットアンチ人口に費やしてしまうよりも、幸せな時間を共有できるかもしれない、もしくは共有できる人達と過ごした方が、よっぽど穏やかで充実した生活を送ることができると知っているからです。

ここまで読んで、なにか気づいた事はありませんか?

そうなんです、「知っている」と「知らない」とでは、心の持ちように大きな差がでます。事前に知っているという事は、心に余裕が持てる事にも繋がります。

これはネットに限らずリアル社会においてもそうだとは思いますが、人は心に余裕が持てないと反撃しようという気にはなれません。或いは、心に余裕がないので他人に対して攻撃的になるのです。

言ってしまえば、心に余裕の無い人が心に余裕の無い人に攻撃をする。これが一番最悪なパターンです。

リアル世界ですと、相手の存在を確認できます。目視してターゲットを選ぶパターンが多いわけです。心に余裕の無い人達は、まず自分が体格的にだったり、立場上敵わないだろうなと予測がつく様な相手には攻撃しないわけです。

しかしネットという環境に移ると、状況は変わります。匿名であったり、顔出しを強いられたりすることはないので、リアルの自分とは結びつかないのをいい事に、弱い立場にあったりする自分を強く見せかける事も容易にできてしまうわけです。

もう一つネット上で性質の悪い項目をあげるとすれば、相手の状況が分からない事にあります。生配信など、その場の状況やその人の様子が分かるようなものであれば良いほうですが、特に文字だけでやりとりが行われるツイッターなどは、相手の様態や精神状態が分からないわけです。あまりにも情報が少なすぎる。なので、人一人の発信に対する受け取り方は、小説を読むかのように、受け取り側の人それぞれのバックグラウンドと価値観や感情に左右されたりするわけなのです。

想像で補わなければならない残された余白の幅振りが大きいほどに、人はその発信源の本意とは全く違う解釈をする可能性が大幅に高まるという事になります。それが良い方向に転べばまだ良いほうですが、それが本意とは全く別の悪い方へと転んでしまった場合が最悪で、故に追い詰められてしまう人もいるのです。

ネットというものは全く知らない人とも容易に繋がることが出来るので、本意を知らなかったり、なんとなく好奇心や同調圧力、流行などの流れで乗っかってしまう人も多いのではないかと思います。

実際、良いとされるものが拡散されるのはネットのとても良い部分であると思いますし、素晴らしい一面でもあります。

しかし、発信したものに対し、一斉に反応が来る可能性があるのもネットです。嫌われる勇気とはよく言ったものですが、嫌われようと思いながら発信している人なんていたとしても極一部なのではないでしょうか?ほとんどの人達は好かれたい、誰かの役にたちたい、褒められたい、自己満足したい、承認欲求を満たしたいなど、なんらかのプラスになりたいという気持ちで動いていると思います。

たとえ自己満足で動いていたとしても、自分の好きを満たす為に活動しているわけですから、批判を受けるために行動しているわけではないですよね。

ところが、さきほども述べたようにネットアンチが存在するのも、容易に関わられてしまう可能性があるのも、事実です。

たまにネット炎上など起こりますが、あれが良い例です。普段はアンチがたったの4%しかついていないんです。エンゲージメント率などみると分かりやすいと思いますが、閲覧数が多くても、実際好意的な反応をしてくれたり、浮上してわざわざアンチコメントをしてくる人たちなんて、極々少数です。大部分の人達は、ただ目を通して興味をあまり持たなかったか、好意を抱きつつも陰に隠れて見守っているタイプです。

普通ならここで止まります。しかしネットですから、拡散されやすいのも事実。良い様に広まるのも悪いように広まるのも、良い様に反応をもらうのも、悪い様に反応をもらうのも、内容と広がり方によっては天国と地獄位の差です。

運悪く間違った捕らわれ方をされて拡散された場合、状況が把握できていないよく知らない人達は表面上の分かりやすい部分から理解しようとするので、真相や真実にたどり着かずに批判や批評の渦に埋まってそれを信じ込んでしまう人達もいるでしょう。これはとても危険で発信者の当人からすれば望まない結果になりかねません。

また、人というのは自分の見たいと思っている側面しか目に入らない、耳に入らないという特性があるので、「どういう人なんだろうか?良い人の印象があるけど。」など良い部分を見ようとしてくれている人達には、良かれと思って伝えているものは相手に良い事として受け取られやすいですが、「こいつは悪い奴だろう、粗探しをしてやろう、えっへっへ。」など思っている悪い面しか見ようとしていない人達にとっては、その人の良いと思える面は受け入れがたいものであり、大抵は悪い面を見つけた際に「ほれみろ、やっぱり悪いやつだっただろ、首をとってやったぞー!」と言わんばかりに見たかったものがようやく見れて大げさに大騒ぎをする人もいるほどですから、どうにも自分を嫌う人達を説得しようとしたり、相手を変えさせようと時間をかけることは大抵結果の出ない苦労に終わります。これが反対や嫌う人達が一向にいなくなったり減ったりはしない道理です。同時に、反対意見が永遠になくなる事はないという事実でもあります。

また、少し違う面から捉えてみましょう。

ネットでは情報量が少ないため、その人達の人間関係や関係性、間柄など、よほど知らない限りは分からない事の方が多いと思います。よく親しき仲にも礼儀あり。と言われていますが、親しい仲だからこそ、許される愛情表現などもありますね。それはお互いに信頼関係が成り立っているが故に成せるわざだったりするわけです。しかしそれを勘違いする大部分の人というのは、親しき仲にも礼儀ありという言葉はきっと人生観や価値観には持ち合わせていないと思われ、初対面或いは全く知らない相手だったり、ただ挨拶を交わしたことがあったり、その場に偶々居合わせたことがあったり、その場にいる人達が仲良く無礼講に近い状態で話していたというだけで馴れ馴れしくそんなに自分は仲が知れていなかったり、初対面だったりする相手に、無礼講を行ったり、暴言を吐いたりするわけです。まだ良好な関係が築けていないうちに、自分もその輪の中の人達と同じように振舞ってもいいのだろう、と勘違いをするのです。

勿論相手がそれを受け入れてくれるような心の広い持ち主ならいいのですが、好意で関わってきている相手なのか、悪意を抱いている相手なのか知りもしないうちに乱暴な関わられ方をされて暴言を吐かれたら、良い印象を持つ人はいないと言っても過言ではないと思います。

人によっては傷つきやすい人もいますから、大げさかもしれませんが、言ってしまえば「別に対象は誰でもよかった。」などと口にしている無差別殺人のような行為となんら変わりがないケースさえあります。特に先ほどもあげたように、ネットにはどの様な人物が存在しているのか文字のみでは分かりしれない部分がたくさんあります。現実世界では容姿であったり、行動が不便なので出向けない場所があったとしても、基本ネット世界は見聞きさえできれば、行き来は自由です。言ってしまえば精神で繋がっていたり、交流しているようなものです。更に年齢も関係なければ、バックグラウンド、国籍、思想、宗教、身体的健康状態、精神的健康状態、性別、色々なものが見えない状態で発信されています。

情報が少ない故に、誰にでも好意を持ちながら接する事もけっして悪いわけではありませんが、好意を向けている相手が期待を裏切り自分にとっての悪人であった場合が厄介という事なのです。

分かり合えない相手なんだな、価値観が違うんだな、違う世界の人間なのかもしれない、なんか苦手だな、と思った時に一人ひとりが違う人間なので、ある程度引き返して距離をとれればいいのですが、ネットにもコミュニティがあるように、どうしても仲良く接しなければならない風潮や、SNSの構造上目に触れてしまう機会があったり、少しでも関わりがあったが為にしつこく付きまとわれてストーカーのような行為をされたりすることもあるかもしれないと思います。(その点ツイッターは最近コメントをFF外からはリプライができない仕様に設定できるよう変更したり、ブロックやミュートの設定が可能なので、その様な機能を活用するのも快適なネットライフを過ごすための手段だと言えます。)

問題なのは反撃やそれに対する対処法が分からず、いつの間にか精神的に蝕まれていき、メンタルが病んでしまい鬱病にいたるかもしれないというケース。HSPなどの傾向がある人達や、自己表現が苦手であったり、コミュニケーションのとり方が分からないだったり、苦手な人達も一定数いるという事です。

よく鬱病は防げる、どうしてその様な状況に陥るのか分からない。と意見を示す人達もいるのですが、その様な人達は環境に恵まれていたり、先天的にメンタルの強い傾向である性格であったり、或いは人の気持ちが想像付きにくい、理解できないというサイコパスの傾向がある人達だった場合、共感能力が異様に高く、自分ごとではなくても自分ごとの様に感じてしまう(例えば怒られているのは自分ではない別人なのに、怒りの感情を必要以上に受け取ってしまい、自分が怒られているかの様な感覚に陥る。)HSPさんの様な人達とは永遠に分かり合えないわけです。率直にいってしまえば、相性が非常に悪いわけです。

そこに共感を求めたりするが故に不幸がお互い発生してしまうのです。その人が体験した事はあくまでもその人自身の体験であって、他人が完全にその人を理解する事は不可能であるように、自分の身に起こったことの無い感覚というのは、想像できなかったり、想像以上のものであったりもする事もあるのです。

確かに暗黙の了解という解釈である程度初対面でも少し踏み入った会話をする事もあるかもしれません。しかしそれはあくまでも相手と親しくなりたいという思いがあり、もしも相手を尊重する意思があるのだとすれば、それを相手が良いと思ってはいない、または嫌がっているなどの反応があった場合、その行為は止めますよね。よって暴言なんていう暴挙は論外なわけです。

しかし嫌っている相手というのは、その様な行為をされて嫌がっている相手をみてストレス発散をしていたり、快感を得たりしています。自分自身がそれ以外に注目を浴びる方法を知らなかったり、自分には出来ない事を相手が成し遂げようとしているので、足を引っ張ろうとするのです。厄介なのは、反撃や嫌だという素振りをみせても構わず嫌がらせをしてくるケースや、それをみて真似をしようと思い、同じような事をしてくる人達がわんさか周りに増えていくケース。

この場合、自分に自信の無い足の引っ張り合いをしたい人達ばかりが集まってくるので、終わりの無い泥仕合のようになります。生ごみを寄せ集めてできてしまったヘドロのようなものです。

この時、ターゲットにされている人が対処法を知っていたり、メンタルが強かったりすれば大丈夫なのですが、誰しもいつでもメンタルの状態が健康なわけではありません。精神状態が弱っていて余裕の無い時とは、反撃をする気力さえも起きないものです。無力感に駆られ、鬱状態に陥るのです。これが根性論でどうにかなるだろう、そうだ相手を説得すれば状況は変わるのではないだろうか?と間違えた対処法をしていた場合も、状況は一向に変わらないので、最後は無力感に陥ってしまいやすくなるのです。

それに加え、もっと酷い状況さえ起こりえます。それは一対一でも手強かったりするのに、ネットの場合は開放的な空間ですから、一対数人、十数人、何十人、何百人、何千人、何万人…など、無数の人数をいっぺんに相手しないとならない状況もあり得るという事です。

するとどうでしょう?十人十色、ネットアンチといっても、アンチの対象にされた理由は人それぞれだったりします。大抵は裏にネットアンチ民の幸せな生活が送れていない、精神状態が安定していないなど、個人的な不幸や不満の理由があったりしますが、それをあなたのせいだとこじつけてアンチをしてきたりします。ここでお気づきの方もいるかと思いますが、表面上は自分のアンチをしてきていても、裏の理由には個人の不幸や不満という原因があるのです。

さて、よほどのお人よしでなければ無理な考え方でもありますが、仮に一人ひとりアンチ民の不幸や不満を解決してあげますのでもう私のアンチはしないでください!というのは人数が多ければ多いほど無謀な事がわかるでしょうか。無力な個人単位にアンチしていないで、もっと力のある、影響力のある、社会を動かす力を持っている人達に直接訴えかけてください!!という冷静な意見を述べたとしても、そんなもの存在が遠すぎて、目先の火種に油を注いでいた方がよっぽど解消されるなどと思っているどうしようも無い人達の方がほとんどなのです。

そこで私たちは気づくわけです。メンタルが安定していないターゲットにされた人が、ネットアンチ民を説得しようとしたり、一人ひとりに反撃しようとしていたら、きりがないという事を。きっとゴキブリのように生命力が強く、反撃しても反撃しても沸いて出てくるようなアンチ民を相手にしているだけで時間が過ぎ去っていき、不幸な渦に飲まれたまま人生終わってしまいます。メンタルがただでさえ弱っている人が、更にどうにかしようとしても、終わりの無い無力感を味わうのです。鬱にもなってしまいます。

ではネットアンチ民にはどう対処するべきなのか?

前のお話にも出していたように、取るべき対策と対処法はあります。

ここまで読んで頂いた方はもうお分かりと思いますが、まずネットアンチ民はネットアンチ民の根本的不幸と不満になっている原因の部分が改善されない限りは消滅する事はありません。

では、どうすればいいのか?

簡単です。自分の考え方、心の持ちよう、マインドを変えてしまえばいいのです。要は相手が変わってくれるのを待つのではなく、自分が変わってしまう事です。

人生生きていて、まず好かれることもありますが、嫌われない事はまずありえないという事を踏まえておく必要があります。たとえ自分が好意を寄せている相手であったとしても、相手が同じように好意で接してくれるという保障もなければ、決まりもありません。相手の意思は自由ですし、その意思は尊重される権利があります。それは逆に、あなたにとっても同じ事です。あなたの意思は他人に尊重される権利があります。

これをネットアンチ民とあなたの関係にあてはめるとどうでしょう?

あなたはきっと誰にでも良くしなければいけない、或いは相手に良くしているのだから、相手も自分に対して良くするべきだ、と思い込んではいませんか?ネットアンチ民からすると、自分はターゲットの事を悪いように酷くアンチしているのに、相手は良い顔ばっかりして、良好な態度ばかりとってくる、自分に構ってくれる、など解釈の仕方は人それぞれですが、それで態度が改善される人もいれば、それを良いことにもっと仕業がエスカレートする人もいます。

この場合、取れる対策は一つしかありません。距離を置くことのみです。

あなたはコミュニケーションを通して自分はその行為は嫌いだ、嬉しくないと示したにも関わらず、相手が止めないのであれば、それは好意で関わってきている事ではないのは判断がつきます。もしも仲良くなる意思があるのであれば、どの様な関わり方をしてほしいと意思表示をするのもありですが、対象の数が多かった場合、一人ひとりに意思表示している暇など到底ありません。

ならどうすればいいのか?自分がされて嬉しかった、良かったことに対して反応を示せばいいのです。距離を置くというのはここで理がかないます。というのも、今まであなたは嫌な事をされて嫌だから反応を示してきたわけです。しかし相手は反応がある事を良しとして行動を止めていないのですから、自分がされて嫌だった言動には原則反応しないという風に自分の言動を変えてしまえば良いのです。それが適度な距離を置くという事です。

もしも目に入るだけでストレス、精神的にもきつくてしんどいという場合は、SNSの機能などを活用して、相手が関わってこれないようにしたり、自分の目に入らないように対処したり、運営側に不適切な使用者として報告するのもありです。とにかく自分の健康を守ることを第一に考えてください。相手の気持ちや状況は二の次です。先ずは自分の足が地についていないと誰も守ることはできませんから、自分を守る事を優先してください。それで大丈夫です。

反撃しないと誤解される、事実とは間違った認識が事実として広まってしまう。というのであれば、それを訂正する必要はあるのかもしれませんが、そもそも本人の口ではなく他人の口から出たものを容易に事実として捉えてしまうこと自体が問題であり、適当な作られた事実とは異なることを真実として言いふらしていた場合、それが事実ではないデマだと知られた暁に信用を失うのは言いふらしていた側の人間ですから、いずれ裁きはくだされるものなのだと判断してよいと思います。

コミュニケーションが取れない人間とコミュニケーションを取ろうとしても無駄なのですから、コミュニケーションが取れる側の人間に対して訴えかければ良いのです。気の合う人間同士が集まるコミュニティで問題ないです。

新しい知識や人脈、知見を広めたり違う視点を持つ方法はなにもネットアンチ民からしか受け取ることができないわけではありません。

違う価値観を持っている人のnoteや書籍を読んでみたり、友好的な共通の好きがある同士が集まる交流会に参加してみたり、方法は幾らでもあります。わざわざネットアンチ民に固執したり、執着したりする必要は全くありません。

自分からマインドを変えること、知ること、環境を変えること、快適な生活は自分から求め改善して対策していくこと。

私もあまり社交場である類のネット媒体は得意な方ではなく、そのようなコミュニティありきのネット社会歴は長い方ではないのですが、少しでもこれから、或いは今現在メンタル的にきつい状態だったり鬱っぽい症状が出始めていたり、発生する事前に防げる対策の参考にでもなってくれれば幸いだと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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