なんだかいつもよりハゲてる気がした。
素晴らしい天気。風は唄い、花は踊り、照り着く太陽が胸を焦がす。
こんなものは麻薬中毒者の見る夢である。
風は前髪を容赦なくひっぺがし、てりつく太陽滲む汗を切りたての前髪が吸収して見事なうねりを見せる。花など微塵も視界に入ってこない。そもそもこの素晴らしい天気も職場という箱に缶詰めにされている以上テレビ越しに見るリゾート地の映像と何ら変わらない。
素晴らしい天気も職場のドアを1度開けてしまえば不快な暑さ以外全て外に置き去りにしている。
こうして置き去りになった全てを名残惜しそうに眺めながら今日も仕事をしていた。
今日はやけに暑く、前髪がさらにはねてしまった。
するとどうだろう。前髪が必死に隠していた生え際が見事に顔を出す。何故か前髪の真ん中以外どこかに行く。俺は可哀想だ。23で薄毛と癖毛と高血圧と不整脈に悩まされている。
天は二物を与えずとよく言ったものだがそんなことは無い。天は世の中の人間に平均一物を与えられているだけで三物ほど貰っているものの裏には0物どころか欠点ばかりを与えられている人がいて、平均すると二物を与えていることにはならない。とその程度のことであろうと思っている。
これはモテ期も同じ理屈で人生で3回というのはあくまで平均であり、0回のやつも入れば6回来てる奴もいる。一生モテ続ける大いなる1回のやつもいるだろう。
カスが!!!
話は変わってここは国分寺。
オーケーストアで買ったメンチカツパンがやけに美味い。
揚げたてではないはずなのに衣が死んでない。
普通揚げたてではないメンチカツパンが挟んでいるのはメンチカツの死骸。すなわち死んだメンチカツなのであるが、オーケーストアのメンチカツパンは新鮮とまでは行かないが生きたメンチカツをしっかりと挟んでいる。これは革命である。死んだメンチカツパンにはソースでベタベタと死化粧がされているがオーケーストアのメンチカツパンにはそのような化粧はされていない。さらにメンチカツの下に真っ赤な鮮血(ケチャップ)が見えるではないか。
こいつは生きている。食べるのが申し訳ない程の生命力を感じる。
今も俺の前髪はうねって跳ねて見る影も無くなっている。
しかしオーケーストアのメンチカツパンは生きている。
生まれたての今を俺は愛する自信が無い。
しかしこの揚げたてではないオーケーストアのメンチカツパンは生きている。
インターネットでは意味の無い言い争いやフェイクニュース。日常のストレスのはけ口となった顔も知らない他人。
しかしこのオーケーストアのメンチカツパンは生きている。
オーケーストアのメンチカツパンは『リアル』であった。
初め世界にはオーケーストアのメンチカツパンがあった
オーケーストアのメンチカツパンは憤怒した。
オーケーストアのメンチカツパンの怒りは大地を作った。
オーケーストアのメンチカツパンは涙した。
オーケーストアのメンチカツパンの涙は川となりやがて海を作った。
海と川の違いはオーケーストア国分寺店のパートさんの塩分のさじ加減だとも言われている。
オーケーストアのメンチカツパンは神となった。
そして神を作りしオーケーストアのパートの皆さんは新たに人間を作った。
そして今俺はここにいる。
オーケーストアのメンチカツを揚げた油を再利用して作ったと言われている太陽に照らされて
前髪がくねくねとうねり、嫌な気持ちになり、下を向いている。
そしてオーケーストアのメンチカツパンを頬張る自分が映ったガラスを見た。
やっぱり今日はいつもより禿げている気がする。
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