あの頃、捨てるという行為で得られたもの
わたしにとって、「捨てる」ことは儀式である。
古いものを捨てれば、新しいものが入ってくる。それはモノもヒトも同じだ。
例えば新しい服を買いに行くなら、まず古い服を捨ててから買いに行く。「ありがとう、またね。」とお別れを言い、クローゼットの空いたスペースに収まる「新しい何か」を探す。これがわたしなりの「ときめく買い物方法」だ。
(この日は5着の洋服を捨てたあと、 三井アウトレットパークにGoTo。)
でも、捨てるのは勇気がいる。
「いや、まだ着れるじゃん。」とか、「これはあのとき初めて着た服だ。」とか。思い出に浸ってしまって、結局その服を残してしまうのだ。
ふと、昔のことを思い出した。
「あの頃のわたし、彼からもらったプレゼントを捨てる儀式をしたなぁ。」
・・・・・
24歳のとき、6年付き合っていた恋人と別れた。わたしの手元には、彼からもらったプレゼントの数々が残った。
香水、財布、コート、時計、ネックレス。そして手紙や写真たち。
どのように捨てようか。いや、捨てるべきなのか?それらにはひとつひとつ思い出があり、愛着もあった。ただ、今となってはその思い出さえも憎らしい。
「こんな甘ったるい香水をつける女だと思ったわけ?」
なんて、別れた彼のセンスを疑いつつ、モノに悪態をつく。もう使うこともさわることもしたくない。完全なる拒絶。
それだけ彼との別れに激しく動揺していたのだろう。その結果、「プレゼントの数々を捨てて、彼の記憶も捨ててしまおう」と決めた。
まず、ブランド品のピンクの長財布。こいつを成仏させなければ。
楽天市場で目に付いた「ベージュの長財布」をポチった。
次の朝、長財布が届いた。それを手にしたとき、自分が生まれ変わったような不思議な気持ちになった。
彼が選んだ女性らしい財布と、自分の意志で選んだシンプルな財布。二つを並べてわかったのは、彼の好みが好きじゃなかったってことだった。
「記憶とともに成仏してくれ!」
ピンクの長財布をゴミ箱に投げ捨てた。バコンッ。き、気持ちいい……!
そのあとのわたしの行動は早かった。手紙や写真はシュレッター行き。香水の中身を洗面所に流す。時計とコートは次女がほしいと言うので、「どうかわたしの前では着ないでね。」と念押しして譲った。
プレゼント品が周りから消えたとき、「別れて悲しい」という気持ちは完全に消え去った。それよりも、無事プレゼント品を成仏させたこの一連の儀式が楽しく、清々しかった。
「自分を変えたい」と「思い出にしがみつきたい」という天秤に揺られながら、わたしはモノを捨てることで、恋人との関係を心の中でも終わらせることができたのだった。
・・・・・
それから、わたしにとって「捨てる」ことは一種の儀式になった。
モノを捨てることで、思い出やしがらみも同時に捨てる。気持ちは「新しい何か」に向かっていた。それは、自分らしさを見つける「新しい一歩」だと思う。
(捨てる儀式のきっかけになったベージュの長財布。大切な思い出は捨てられないんだナ。)
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