【1000文字日記】知らない場所に住むということ
「ああ、やっと1年経ったな」と思った。昨年の10月1日、わたしは縁もゆかりもない町に引っ越した。
38年の人生で居住地を中部→東部→西部と、どのエリアでもわりかし引っ越した方だと思う。出身は愛知。良くも悪くものびのび過ごして地元で就職。25歳で「自分を試すなら東京だ!」と上京し、銀座ではたらきはじめた。翌年、「やっぱ、高級な場所は苦手だ」と思い知らされ、鎌倉で再スタートを切る。その後、住まいを横浜に移した。
そして、今は難波に電車を使って40分ほどの場所に住んでいる。
今まで関西方面に住みたいと思ったことなど、1ミリもなかった。いったいなぜか? それは、父が言った言葉がひかかっていたからだ。
大学4年の就職活動中の6月、ある会社の面接を受けるために初めて梅田を訪れた。ビルに差し込まれた赤い観覧車を見て、「かっこいいな……」と思った。
名古屋の栄にもビルの観覧車があるけれど、大きさが違ったし、赤一色に染める潔さに本物感があった。迫るような都会の雰囲気に、完全にのまれた。
帰宅したその日の夜、リビングにいた父がこう言った。
「風水だと、大阪に行くと、大ケガするよ」
父は占いを信じる人だ。おかげでわたしの名前は姓名判断の先生に付けられ、画数は総格24の大大吉である。
「へぇ、そうなんだ」と、たいして驚いていないそぶりを装ったが、心臓はバクバクしていた。この後も大阪の会社を何社か受ける予定だったからだ。気にしたくないのに気にしてしまう。おそらく、父はよかれと思って言ったのだろう。わたしは悩みに悩む就活生なのだから、もっと気を使ってほしいものだ。
その日から、大阪はわたしにとってアウトオブ眼中(もう死語か)になってしまった。
社会人になって15年。わたしは関西にいる。理由は夫の地元だからなので、自分から望んで得た居住地ではない。けれど、わたしは父の占いを振り切って住み始めた。知り合いはほぼゼロである。
いま、わたしは大阪を知ろうとしている。京都の空気を吸おうとしている。神戸の中華街がいい味だしてるなぁと思う。山に囲まれた奈良でしんみりと泣きたくなる。
意図せず知らない町に住みはじめたとき、人はどういう行動をするのか。
それは、心の置きどころを探すような感覚だ。自分の居場所を見つけるために、少しだけ遠出して、怖くなって戻る。それを繰り返す。行動範囲が広がるほど、この場所で居場所が増えていく。
自由でもあり、孤独でもあるその旅は、けっこう好きだ。
そこで出会う人の表情を見て、すれ違う人の言葉使いを聞いて、「居場所をつくってくれて、ありがとう」と言いたくなる。
知らない場所と向き合うのは、けっこう勇気がいる。どうしてもよそ者であることを意識して、いい人でいようとしてしまう。
今の目標は、自然に笑える場所を増やすこと。背筋を伸ばして冒険してみようと思う。
先日、実家に帰ったとき、父に「関西に住むとケガするって言われたこと、ずっと気にしてる」と言うと、「もう苗字が違うから大丈夫だぁ」と返ってきた。もっと早く言ってほしいんだが。
(記:池田アユリ)