「働く日」だったクリスマスが、楽しむ日に変わったこと
わたしにとって、クリスマスとは「働く日」だった。
4人姉妹の長女だったわたしは、早々にサンタクロースが親であることを知っていた。10代になると、24日は妹たちを楽しませる裏方として過ごすことになる。前日までにクリスマスツリーを彩り、折り紙で部屋を飾った。当日は率先してケーキを切り分け、母が妹へのサンタクロースからのプレゼントをえっさほいさと運んでいる姿を隠すべく、妹たちの視界を遮る役目を担った。食事を囲みながら写真を撮る時は妹たちを順番に並ばせた。それがわたしのクリスマスだった。
大学時代は着飾って外出することもあったが、「クリスマスは誰かを喜ばせるもの」という考えが抜けず、どこか冷静だった。ブライダル会社に新卒で入社すると、12月は結婚式とブライダルフェアでてんてこ舞いになる。その後、社交ダンス教室でダンス講師に転向。クリスマスダンスパーティーで生徒さんと踊ったり、自分の演技を見せたりと、やはり仕事一色に近かった。
約25年間、クリスマスは誰かのためにあるもので、自分が楽しむものではなかったのだ。脇役として働くのはごく当たり前。そのことに何の不満はなく、むしろ自分の使命のように感じていた。
2020年1月初旬、白っぽい寒空が見える国際線の待合室で、わたしはモスクワに向かう飛行機を待っていた。2年後にロシアがウクライナに侵攻することになるとは夢にも思わず、今やなかなか行くことのできぬモスクワを選んだのは、兼ねてからダンスレッスンを受けていたロシア人の先生のもとへ習いに行くためだった。
ロシアは食事もおいしく、街が美しかった。スタジオで早朝に練習し、レッスンを受け、夜は子どもやベテラン勢のダンサーの中で踊り込みをした。とても充実した時間だった。
この遠征はダンス技術向上のためであり、観光はプランに入れていない。けれど、乗り継ぎを経て10時間以上のフライトで辿り着いた異国の地。時間が許すなら、世界遺産などを一目拝みたいと思った。当時のダンスパートナーであった夫も、同じ気持ちだったと思う。
彼はレッスンの入っていないある日の午後を、観光する時間にしようと提案してくれた。ボリショイ劇場で公演していた『くるみ割り人形』のチケットをネットで予約し、赤の広場などの観光地に行くことになった。
ロシア語が読めないわたしにとって、すべて「……クルスカヤ?」だけしかわからない駅名を行き来するのは冒険だ。モスクワに到着した日は、長い地下鉄のエスカレーターが怖かった。
夫は事前にオフラインで使えるようGoogleMapをダウンロードしており、最初はともに戸惑っていたものの、数日後にはどんどん電車を乗り継いでいた。わたしは異国での孤独感が多少なりともあり、夫の存在が頼もしかった。
観光した日、モスクワの町はクリスマス一色で、いたるところで盛大なライトアップがなされていた。一流デパートの装飾、アーケードにぶら下がるモニュメント。見上げるほどのクリスマスツリー。まばゆい移動遊園地にスケート場。
そこで初めて、わたしは「働かないクリスマス」を過ごした気がした。
夫に道中をに委ねるしかない状況だからこそ、主役気分を味わたえたのだと思う。非日常を体験する高揚感がそこにあった。心を許せる誰かと、いつもとは違う景色を眺める。
「そうか。裏方であろうがなかろうが、もっと楽しめばよかったんだ」
今までのクリスマスの過ごし方を振り返って、そう思った。
今年の12月、わたしは出産を控えており、予定日はクリスマス前だ。もしかしたら、病院でクリスマスを過ごすかもしれないが、思い出深いものになるといい。
これからのクリスマスは「子どもを喜ばせる日」になっていくだろう。けれど、ロシアで過ごしたあの日のおかげで、自分も楽しめる気がしている。
一緒にたくさんのイベントを過ごせる仲間が増える。この人生のご褒美を、クリスマスに噛みしめられたらいい。
(記:池田アユリ)