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ことばとの付き合いかた

食べながらでもトイレに入りながらでも風呂に入りながらでも歩きながらでも文字を読んだり書いたりしたい私にとって、SNSは気軽な流し読みもでき、ときおり宝のような言葉に触れられる、このうえなくわくわくできる場所だった。
特にTwitterは自分が好きなつぶやきをこっそり集めておいたらときどきそれが個々にざわめいてくれる、それを何の足跡も残さずにひそかに眺めてもいいし、いいなと星をそこに積んでみてもいい。
全然知らないひとの言葉にわざわざ自分の存在を知らせて星をつけることが、最初はどきどきしたな。
SNSというものに慣れてしまって、強い言葉同士が飛び交ったりまったく文脈が読み取れていないねじれたレスポンスがやってきたり根拠のない噂やニュースを無邪気に流しているのを見たり、そういう、はじめはいちいち胸がはらはらしていたようなことにも、慣れてしまった。視線を外して気にしないようにする技術を手にしてしまった。

でも、ほんとうは全然平気じゃなかったのかもしれないな。
大事なことばも、読みたくないニュースも、身近なひとの活動も知らない人の活躍も誰かの死も猫も旅もレシピも、いっしょくたにただ流れてきて、流していく。そういうことが平気なわけはなかった。

ちゃんと自分が読みたいものだけを読みたい、と思ったときには文字がしっかり追えなくなっていた。
目にうつる文字の量と、噛み砕けるスピードが全然釣り合っていなくて、まばたきばかりしてしまう。
わたしはそんなにいっぺんに、たくさんの情報なんて処理できないんだった。
二度も三度も触れて、肌やからだに染み込ませてみないと、自分のものにした感じがしないんだった。
振付だって数回じゃ覚えられなくて何度もやって骨まで自然に動くようになるまで稽古しないと納得がいかないのだった。

アゴタ・クリストフの自伝『文盲』をフランス語で読んでいる。
『文盲』は日本語でも読んで体の中心がしびれて立てなくなったほど打たれたが、フランス語で読むとまた違う感触があるのだった。
アゴタ・クリストフはハンガリー動乱の時にスイスへ逃げざるを得ず、そのまま自分の母国語ではないフランス語で執筆した作家だ。
日本語で読んでいたときには知らなかったが(『悪童日記』に続く三部作も)彼女はとても初歩的な文法のフランス語で執筆をしている。
『文盲』のはじめは、

Je lis. C’est comme une maladie. Je lis tout ce qui me tombe sous la main, sous les yeux: journaux, livres d’école, affiches, bouts de papier trouvés dans la rue, recettes de cuisine, livres d’enfant. Tout ce qui est imprimé.

という風に始まっている。
文字の印刷されたものなら新聞でもチラシでも紙のかけらでも何でも手にとって読みふけってしまう。もうそれは病気のようなものだ、というような内容。
きっと本が好きなひとなら、共感と諦めのため息をつきながらうなずいてしまうはじまり。
自分の言葉じゃない、しかも自分が選んで移住したわけでもない国のことばでものを書き、読むこと、そしてそのことばが次第に自分の母国語を干渉してゆくジレンマ、そういうことについてアゴタ・クリストフは書き、いっぽう私はその言葉をときには辞書をちびちび引きながら息をつめて、読んでいる。

日本語だともしかしたら目が滑って読み飛ばした、読んでいるし内容も理解しているけれどそれでもすっと通り過ぎたその場所を、フランス語だと単語ごと目を留めて追うからひとつも通り過ぎることがない。
日本語だと文章を読みながら、次の文章や三行くらい後まで目に入ったりして先が予想したりしていることもあるが、フランス語だと一つの文章を読んでも意味がわからず、不明な語を辞書で調べてやっとその瞬間にその文章があらわす悲痛に気づいて息を飲んだりする。
いきなり、目の前に立ちふさがる。
その、繰り返しだ。

子供のころ、まだ文字をつっかえつっかえしか読めなかったときにも、こうしておなじように日本語を読んでいたのかな。
言葉を初めて認識した1歳半の時の記憶はあるけれど、本をのろのろとしか読めなかった記憶はまるでない。

フランス語がなかなか上達しなくて、時々真剣に自分の頭や耳の構造を疑いたくなるけれど、それでもやっぱりこうして新しい言語と格闘して、考えることは楽しいな。
もう二度と子供には戻れないけれど、こうして言葉を通しても、世界に気づき直したり発見したりすることはできる。


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