●2021年7月の日記 【上旬】
7月1日(木)
朝の雨があんまり強いので、幼稚園に向かうのはもうアトラクションと思うことにした。3さいの子どもはレインコートと新しい長ぐつを装備できるうれしさからか登園に乗り気で、わたしたちはいつもより少し早くに家を出ることができた。路上のうち水たまりのいちばん深いスジを律儀にたどる子どもの歩みはなかなか先に進まず、駅徒歩8分の道のりに30分かけた。となり駅から幼稚園までの道も同様だったから結局かなり遅刻した。そのうえ園庭の水たまりはわたしの子にとって大変魅力的な仕上がりで、教室に入るどころではなかった。教諭の呼びかけも耳に入らないようすでばしゃばしゃと駆けずりまわるかれの名を、教室から級友たちが大きな声で呼んだ。幼い子たちが10人も15人も揃ってわたしの子どもを呼ぶ、という光景にしばし見とれたが、見とれている場合ではないので子どもの手を引いてブーブー言われつつ教諭に引き渡した。雨が降っただけなのに、朝からお祭りさわぎだ。
雨。わたしはしとしとした雨とざんざ降りの雨なら、ざんざ降りの中の外出をこのむ。急ぎでない買い物にわざわざ出たりしがちだ。同じ傘をさすなら強い雨のほうがおトクな感じがするというか。傘をバラバラ打つ音は耳にたのしい。
子どもが興奮するのももっともだ。今朝の登園アトラクションは無事にふたりともが楽しめたのだった。
雨に濡れたらおなかがすいた。カフェにいくために公園を通った。一度にたくさんの雨が降ったせいで池のまわりの地面までが水浸しになっていた。まるで公園の半分が池になったような景色だった。池と水たまりを合わせた水面はにわかに拡がりはじめた青空を映しだし、カルガモがその空に乗って憩っていた。カルガモは池から出て水たまりにいた。
7月2日(金)
大学生のときランチに足しげく通っていたベトナム料理屋に夜、子どもを連れて行った。友だちは先に着いていた。さいしょの1杯を子どもが注いでくれた。子どもはオレンジジュースを注文し、3人で乾杯した。「今日は幼稚園でなにしたの?」と友だちが訊き、「片手でてつぼうにつかまった」と子どもが答えた。わたしは揚げ春巻きがとてもおいしいのにびっくりした。生春巻きばかり食べてきた。炒めものもサラダもおいしかった。ビールがすすんだ。みんな箸を1本ずつ落とした。
夜の公園でちょっと遊んだ。そのあいだ雨は止んでいたか小降りだった。小さな子どももほろ酔いの大人も少しの雨を気にしない。
帰りの電車を降りるときにはまた強い雨が降りだしていた。心配した夫が途中まできてくれた。夫は子どもに手を引かれておかしのまちおかに入った。わたしは外にいた。まだまちおかがやっている時間なんだなと思った。
家に帰ってほどなく子どもと寝た。いつもより早かった。
7月3日(土)
朝起きて、頭がぼうっとしているうちに洗濯機をまわした。「めんどくさい」って思うまえに、という戦略だ。きょうは部屋干しだから気分があがらない。子どもと夫が起きてきたからとっとと干した。
土曜の朝らしくホットケーキを焼こうと思いたち、卵と牛乳は子どもに溶いてもらった。ホットケーキミックスもマゼマゼするというのでそのまままかせた。ふむ、わたしがおもっている以上に子どもにはたくさんのことができるのかも、と見ていて考えをあらためた。包丁と火と熱湯はいかんけど他はやりたそうならやってもらうといいのかもしれない。
わたしがホットケーキを焼くあいだ何度ものぞきにきては『しろくまちゃんのほっとけーき』のせりふにのせて縦に揺れていた。
ぷつぷつ/やけたかな/まあだまだ
子どもってほんとうに食べものを待つとき縦に揺れるんだ。いや、自覚していないだけでわたしも揺れているかもしれないんだけど。
朝一番に洗濯したり、ホットケーキを焼いたり、なぜこんなにテキパキしているかというと、昼に友だちと飲みにいく予定があるのだ。友だち。酒場。こんなにもわたしを駆りたてる。朝からエンジンふかしてる。
エンジン音が不自然だったのだと思う。家を出るとき子どもにすごく泣かれた。いつもはもっとアッサリだ。羽織のすそをつかんですがる子を引き剥がすようにして出発した。ドアにさえぎられてもまだ泣き声が追ってくる。すまんな。母は行かなくてはならないところがあるのです。
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飲みすぎて帰ると夫が子どもを寝かせてくれていた。子どもが寝ている時間に帰る、というのを飲みでやったのははじめてだ。帰路に100円自販機で買った甘すぎるスポーツドリンクを枕元に置いて寝た。
7月4日(日)
二日酔いをおそれつつ起き上がってみると身体が軽い。なにかと思ったら肩こりが解消していた。まさかと思ったが間違いない。こんなに首肩まわりがなめらかに動くのはいつぶりだろう。これは…。前日に酒をたくさん飲んだ効能か。筋肉がいい感じに弛緩したのか?深酒は肩こりに効く。ひどい説だ。
雨だから都議選の投票にはひとりずつ行こうということになり、わたしが先に行った。今回は票を入れる候補にほとんど迷わなかった。かろやかにステップを踏みながら(肩こりもないし)候補の名前を書いて箱に滑り込ませた。
きのうは子どもをすっかり夫まかせにしてしまった。きょうはわたしが連れ出そう、ということでラーメン屋に誘ってみた。ラーメン食べにいこう! 子どもは軽快についてきた。ラーメンの魅力ははかりしれない。わたしの知っている子どもはだいたいラーメンがすき。
商店街に向かう道の街路樹にはきのこが生えていた。ふたりで観察しながら進んだ。わたしたちの梅雨のおしごと。雨が降るときのこが発生する場所はだいたい同じで、種類もそれぞれのポイントで固定だ。見ているうちにわかってきた。これも子どもとの生活がいざなってくれた世界。身近な菌類。
ラーメン屋は子どもがえらんだ。中華そば寄りのラーメン。大盛りにしてふたりで。子どもはラーメンのためなら割りばしも使いこなしていた。チョット二日酔いのわたしにも親切に寄りそってくれるラーメンだった。
7月5日(月)
図書館にぞっこんすぎて書棚のまわりを回遊しているだけでひとり時間が溶けてしまう。1時間半を溶かしたあとハッとして出た。デカいスーパーの上の階で折り紙と上履きを買った。フルーチェも買った。
きょうは心理職のかたに話をきいてもらう機会があり、全体的に「ようやっとるよ」と慰めてもらったような時間だった。他人の音声でやさしいことを言われるのはすごく効く。あぶないくらい効く。わたしの場合は人と話す絶対量が少ないから余計にだろう。あと心理職のかたがたにかなり強い憧れを抱いている。その個人的な思い入れも作用しただろう。
7月6日(火)
知り合いが主催する集まりで人体を描いた。人体はただでさえ美しい。そのうえ美しいモデルのひとだった。美しい形が平面でなく立体としてそこにある。すごくぜいたくだ。鈍重でめったに動かないわたしの心にも波紋がひろがった。
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幼稚園帰りの子どもは星のかんむりをつけていた。明日は七夕か。前髪のあいだに見え隠れする紙の星はすべてピンク色で、「自分で選んだんですよ」と教諭が言った。ピンクが今のお気に入りらしい。たしかにすごく似合っていた。
寝るときもかんむりを外さなかったからうちの布団に星の子がねむっていた。
7月7日(水)
カレーの店に行った。お昼ごはん。なんだかずっとナンを食べていた。ひたすらにナン。いつまでもいつまでもナン。それでもナンはなくならなかった。巨大だった。子どもはお子さまカレーセットなのにナンは同じ巨大ナン。ネパール人店員のほほえみ。サービスだ…。最終的にひとりで1.5まいは食べたから健闘したほうだとおもう。おいしいおいしいナンだった。カレーの味をわすれてしまった。
7月8日(木)
頬にチークをのせているとき子どもがやってきて「ぼくもほっぺた赤くする」といった。ブラシを両頬にほんのちょこんとタッチしてやると満足して去った。
雨つづきでベランダの野菜の育ちがいまいちだ。安い土を使ったせいで水はけがわるい。まだ幼いパクチーがおぼれてしまわないように願う。雨だけでなく、水やりにはりきる子どももいるのだ、うちには。今年の雨もわたしの子どもも加減というものを知らない。
仕事のあと知り合いの個展をたずねた。銀座。すきなギャラリー。展示、とてもよかった。知り合いは「描いているうちに描きたいものがわかってきた」と、「最初のつもりとはまったく違うものになった」と話した。そういう作品をわたしはすき。絵に限らず。作る行為の中からできあがっていくもの。見ているとまぶしくて痛い。自分が筆を1ミリも動かしていないから。
銀座は一生迷う。地下に入らないと自分がどこにいるのかわからない。GPSだって銀座じゃ迷いがちだから嬉しくなっちゃってスマホに「だよねだよね!わかんないよね!」って話しかける。でも数年前とくらべて格段に迷わなくなった。グーグルマップ。ちょっとさみしいよ。
7月9日(金)
もうすぐ夏休みがやってくる。子どもはこの春幼稚園に入ったから今年がはじめての夏休みだ。はじめて出会うものなのに、なつやすみという響きを子どもはすでにうれしいもの、善きものとして受けとっているようだ。歳上の園児たちのうきうきモードを感じ取ってのことなのか。
わたしにとってもこれがはじめて親として直面する夏休みになるわけで、あの、わくわくはしないかな。
夏休みまであと1週間ちょっと。
7月10日(土)
漬け卵とラタトゥイユと豚肉竜田揚げを仕込んだ。竜田揚げは子どもが吸い込むように食べていた。米を炊いたものの、おかずがツマミすぎて誰も食べなかった。わたしも夫もビールとやることにした。
コンビニで売っていたコエドビールの毱花 -Marihana- がおいしすぎる。子どもが「まあまあまあまあ」とささやきつつ注いでくれるのもよい。わたしの知る子どもたちは皆なぜか大人にビールを注ぐのがすきで、自分の役目だといってゆずらないこともある。なぜだろうと不思議だったがすごく単純に、大人が喜ぶからなんだよなときょうの自分たちの喜びっぷりでわかった。ちょっと喜びすぎだった。
ジュースとビールで乾杯した。すばらしい土曜の宵だった。
ごはんは夫が包んでくれた。四角い米ざぶとんが6枚、テーブルに並んだ。冷凍庫行き。