五月の松本 子どもと旅すること
特急あずさに乗って松本へ2泊3日の旅にでた。例によって子どもとふたりで。わたしは隙あらば子どもとの旅行を画策するくせがある。「ふたりで旅行にいくよー」と宣言すれば「そうなんだ?」といつも素直にトコトコついてきてくれる子どもに感謝である。
松本に出かけた主な目的は、松本に住む友人とその子どもたちに会うことと、クラフトフェアまつもとを見てまわること。
ずっとあこがれてきたイベント
5月26日(木)
朝10時発のあずさの乗車率は高く、わたしと子ども2人でひと席指定してある窓側の席を見つけると隣にはすでに着席している人がいた。ついその人に対して卑屈に「あぁごめんなさい、わたしたちハズレの隣人です…」などと思ってしまう。しかしお隣さんはとても親切な女性で、いやな顔ひとつしないどころか、他の空席を見つけて「私、あそこに移動してくるので、ここよかったら」と譲ってくれた。子どもを連れていて親切を受けると安心のあまり泣きべそをかいてしまう。天使に会ったみたいなリアクションのわたしを、子どもは若干けげんな顔で見ていた。
あずさが松本駅に着くときは独特の『マツモト〜〜マツモト〜〜〜』という間伸びした声がホームに響く。あ、松本に来たなって思う。
駅の階段を降りた先に友人が待っていてくれた。着時間に合わせて迎えに来てくれたのだ。大学の友人・R子ちゃん。第二外国語のクラスがいっしょだった。彼女の傍らにある電動自転車をみて、ああ、いま本当にR子ちゃんは松本に暮らしているんだ。と実感がわいた。チャイルドシートのついた電動自転車の現実感・生活感は異常。R子ちゃんは1年ほど前まで北海道にいたのだが、夫の転勤につきあって松本に越してきたのだった。
R子ちゃん家族の住む家におじゃましてランチをいただいた。松本のおいしいパン屋さんで昼食をしこたま買っておいてくれたのだ。
サパンジのパンはぜんぶおいしいよ
人の家が大好きな子どもは大はしゃぎであった。R子ちゃんの小学生の子どもたちのおもちゃを使わせてもらっていた。学校が終わって帰宅したその子どもたちにもちょっと挨拶をして、「明日もあそぼう」と約束して別れた。わたしたちはホテルにチェックイン。
ダブルサイズのベッドでひととおり「おっきいねー!」と遊んでから、松本さんぽに繰り出す。
ガルガという店の展示を見に行った。「ガルガ動物園」という、動物をテーマにした作品の展示が行われていた。動物がモチーフなら子どももいっしょに楽しめるかもという期待があった。1階はカフェで急勾配の階段を上がった2階に展示室。
……松本に多い、こういう小ぢんまりしたおしゃれなギャラリーの企画展は、子どもと見るには向かないということがわかった。少なくともわたしの子どもとはむずかしい。うすうすわかってはいたが改めて身にしみた。展示物で思いきり遊ぶ子どもをお店の女性がつきっきりで見ていてくれて、やばいときには止めてくれていた(ほんとうに親切にしてくれた)。その状況に恐縮しきりの私は、作品を見ることになかなか神経がいかない。蔵に眠っていたという木彫りの小さなクマを一体買った。
やさしくしてくれる店の人たちに甘え、ずいぶん長居してしまった。ぺこぺこしながら退店すると外は雨。わたしたちはおんぶで雨の松本をどすどす駆けていった。みるみる雨足が強まり、ひゃーって言う。濡れるのはこわくない、だって銭湯に向かっていたので。
しっかり濡れて菊の湯に到着。風呂に入りがいのあるコンディションだ。ここの経営が変わってからはじめての訪問。雰囲気、変わったけど、前もよかったし今もよい。と思った。うれしくなった。松本の好きな建物のひとつなのだ。
入浴料は普通に銭湯のそれなんだけど(大人400円)、浴室にちゃんとしたボディソープ・シャンプー・コンディショナーが備え付けられていてビクッとした。いいの? 本当に?
<リーフアンドボタニクス>が堂々と鎮座
おそるおそる使った
子どもは大の銭湯好きで、家の風呂はとことん入り渋るが銭湯の脱衣所では一瞬で服を脱ぎ捨てる気合いの入ったパブリックバスボーイだ。これまでさまざまな入浴施設の女湯に付き合わせてきたからはじめての銭湯でも彼は物怖じしない。頼もしいが、彼が走り回るのを止めながらシャンプーをするわたしの目はいつも見開いたまま血走っている。リラックスとはほど遠いイベントだったりする。楽しいが。
それにしても、こうして子どもと旅先で女湯に入るのも長くてあと1年が限界かなと思う。わたしは子どもと暮らしはじめる前、女湯で5、6さいの男の子にエンカウントすると反射的にびくっとしていた。今は4さいだから微笑ましく見守ってくれる女性が多いが、5、6さいってなるとけっこう大きいし、子どもと同年代の女の子たちには普通に恐怖を与えかねない。だいいち、本人だっていやがるだろう。子どもが楽しめて、自然に女湯に溶けこめる今のうちの過ごしかたなのだ。心して楽しもうと思った。目は沁みるけど。
入浴後は2階の休憩スペースに上がっておのおのアイスクリーム及び牛乳タイム。
窓から雨の止んだのを確認して、座布団になじんだ重い尻を上げる。旅館からホテルに帰る、みたいな状況になった。
部屋に着いても楽しくて、いつまでも起きていたい雰囲気の子どもだったが、銭湯でよいあたたまりかたをしたのか、あっという間にベッドの上のふかしまんじゅうみたいになって眠りに落ちた。そのツヤツヤの顔には「むねんなり」と書いてあるようで笑えた。
わたしは窓際のソファで、持参した文庫本を読んだ。
小泉今日子『黄色いマンション黒い猫』
旅先で読む東京の話はよいなあ
気がつくと0時をまわっていた。もう少しで読み終わりそうな本をしぶしぶ置いた。ひとり時間はいったん閉店。
遮光カーテンをしめて電気を消すと、自宅ではかなわない真っ暗闇が完成した。このホテルでの滞在でいちばん素晴らしかったのはこの真っ暗闇。左右前後上下の黒にすっぽりと包まれて、深く呼吸するとベッドにしずんだり浮かんだりした。眠る前、はっきりとこう思った。
「遮光カーテン、買お」
5月27日(金)
午前8時、喫茶店でモーニングを食べようと、雨の街に繰り出した。松本は喫茶店の多い街である。ホテルの朝食を食べている場合ではないのだ。
目当ての店は松本在住R子ちゃんおすすめの「珈琲美学 アベ」。
入店したとき、すでにほとんどの席に客がいたのでびっくりした。平日の朝8時である。
席が埋まっているとはいっても店自体の大きさにゆとりがあるので、せせこましい感じはしない。子どもと2人で広々としたソファ席に通され、充実の朝を過ごした。モーニングはカスタマイズ式で、トーストやフォカッチャ、ベーコン、ウインナー、卵料理などのメニュー(それぞれ50円とか100円とかで安価)を好きに組み合わせて注文できるのが素晴らしかった。この方式のモーニングの喫茶店、近所にも欲しすぎる。
店内にあったカプセルトイのガチャガチャ『純喫茶ミニチュアコレクション』を子どもが回したところ、まさにこの店のモーニングが出てきたので、ふたりで大喜びした。
「アベ」を出ると雨は止んでいた。この日はそれからずっと晴れた。気温はすぐに暑いくらいになった。
R子ちゃんと落ち合って、酒屋さんのランチをいただいたあとは、昨日に続いてR子ちゃんの家におじゃました。ちょっとのつもりが、おじゃましたら出られなくなってしまった。
子どもはR子ちゃんの子のAちゃん(小学1年生)と意気投合して遊びが白熱し、それは「そろそろおいとましよう」なんて言い出しても到底聞き入れてもらえないくらいのはちゃめちゃな盛り上がりっぷりなのだった。
それで、R子ちゃんがもうひとりの子どものKちゃん(小学3年生)と習いごとに出かける間もわたしたちはこの家に居ていいことになった。Aちゃんと留守番をしていようということになった。
この留守番の間のAちゃんと子どもの遊びっぷりには圧倒された。ふたりとも完全にハイになっていて、叫びっぱなしだった。やっていたことはごく普通のかくれんぼなのに、叫びっぱなし。なぜだ。このとき撮ったムービーは全部音割れしている。防音のしっかりしたマンションとはいえ、これはさすがに…とハラハラするくらいの大騒ぎだった。すごい。この年頃の子どもたちって、これほどまでのエネルギーを放出することができるのか。ふたりとも壊れちゃうんじゃないかって怖いくらいだった。エクソシストの悪魔憑きの子を見てるみたいな怖さ。
やがてR子ちゃんとKちゃんが帰ってきたときは心底ほっとした。
すっかり人んちに入りびたりの一日となったが、子どもにとってはこの旅のハイライトみたいな時間だったのではないかと思われる。だいたいにおいて親が子どもに旅先で「こんな経験をさせてあげたいな」って考えることと、子どもがほんとうに楽しむことの間には、距離があるものなんだよなあと思い至る。わたし自身、子ども時代の両親との旅行で印象深いのは車が渋滞に巻き込まれたときのしりとりであるとか、田舎の人気ピザ屋に並ぶあいだに捕まえた大きなバッタのことだったりする。
R子ちゃんたちとみんなでレストランに行って夕飯を食べてから解散した。部屋に着いても興奮冷めやらぬ子どもをLINE通話ごしに夫に託してわたしは風呂に入った。昨日みたいな街の銭湯も最高だけれど、自分勝手に入れるホテルの部屋の風呂も好き。
子どものスイッチが切れて眠るのを確認したあと、わたしも続いて横たわる。寝相が独創的な子どものキックが脇腹に刺さってくるのを感じながらもすんなりと眠りについた。
5月28日(土)
松本に来た目的のひとつであるところのクラフトフェアまつもと開催日。ホテルをチェックアウトして会場のあがたの森公園を目指す道すがら、水場に引っかかる子ども。
R子ちゃんと子どもたちと落ち合って(滞在中毎日遊んでくれたのすごい)、先にランチにしようということになった。お蕎麦屋さん「山がた」へ。
松本市美術館の裏にある名店、
というかわたしの大好きなお蕎麦屋さん
店の外には列ができていて、並ぶことにした。1時間以上は並んでいただろうか。子どもたちはすっかり蕎麦に乗り気だったし、周りの水路で遊びながら待っていられるような場所だったから、そのまま待つことにした。
わたしとR子ちゃんはビール、子どもたちはリボンシトロンで乾杯。お蕎麦はほんとうに美味しくて、たいていの食事を食べ渋る子どももあっという間に啜り上げてしまった。わたしのお蕎麦欲も急激に充たされた。松本のお蕎麦はどこで食べてもだいたい美味しいが、わたしの推しはやはり「山がた」だ。
で、蕎麦屋を出たときには肝心のクラフトフェアまつもとを見てまわる時間があまり残されていなかった。その上、まだ水路に魅せられている子どもをなだめすかして会場に誘導するのにも時間を食った。結局、会場を見てまわれたのは15分くらいか。子連れ旅らしくて笑えた。子どもと楽しめると思って計画したことはのきなみ未遂や中途半端に終わり、一方でこちらが全く想定していないところに派手な盛り上がりがあった。今回の旅のクライマックス、「人んち」と「蕎麦屋の待ち時間」。
松本駅に着いたのは帰りのあずさが発車する10分前だった。ばたばたと改札に入るわたしたちをR子ちゃん家族が総出で見送ってくれた。R子ちゃんの夫(ゴルフ帰り)も駆けつけて、「うちにもう一泊してくれても〜」なんて言うので後ろ髪引かれまくり。今度松本に来るときは1週間くらいの滞在にしたいな。って、毎回言っている気がする。R子ちゃんと再会を誓いあってしんみりする余裕もなく、あずさに向かってダッシュした。
この日の夜、無事に着いた自宅の夜でも明るい和室で眠る前、子どもに「今回の松本行きで特に何がたのしかった?」と訊いてみた。間髪入れずに「全部たのしかった」との返答があった。なかなか聞くことのできない感想だ。R子ちゃんと子どもたちが引き出してくれた言葉だと思う。また会いに行こうねと言い合って眠った。