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●下書き日記放出 2021年〜2023年

ここ数年の、下書きのままになっていた日記をまとめました。

●2021年

5月2日(日)

友だちのおごりで水上バスに乗せてもらった。水上バスってなんじゃいとおもったら、普通のバスみたいに街を走ったあと海に続く急坂をザブーンと下って船になるバスなのだそうだ。

なんというか、世の中にはいろんなことを考えて実行する人がいるなあ。人間って、面白!状態になった。(デスノートなつかしい)

海に入るときの水しぶきで前方の窓が真っ白になった。それが止むと普通にもうバスが船になって海に浮かんでいた。すかさずガイドからシートベルトを外すよう指示があり「えっいいの?」とおもったがそりゃそうだ、水がきたら抜け出せなくておぼれちゃうもんね。

水上バスから見た停泊中の飛鳥Ⅱ
この角度で見られるのはめずらしいらしい

風は強いもののゴールデンウィークらしい素晴らしい陽気で、海上の遊覧には完璧な昼さがりだった。ひざの上の子どもは席がせまいの風がつめたいのとぶつぶつ言い、しまいには寝た。海の上にはたくさんの遊覧船やクルーズ船が行きかっていた。大さん橋に停泊中の飛鳥Ⅱの近くを通るとあまりに大きな船体は団地のひと棟のように見えた。友だちと「大きい船いいなあ」「大きいことはいいことだ!」ときゃあきゃあ言いあってしあわせだった。

5月3日(月・祝)

公園に行った子どもが父親に抱かれて泣きながら帰ってきた。どうしたのかとおもったら、ころんで手指につくった小さなすり傷を見せてきた。子どもは傷への反応が人一倍つよい。小さな指2本にキズパワーパッドをそれぞれぐるんと巻いてやって、痛かったねと声をかけると涙は止まったが、パッドを貼った指のある右手(利き手)をおもちゃで遊ぶのにも箸を持つのにもかたくなに使わない。手が水に触れるのを極端に怖がり、風呂にも入れず寝てしまった。なんだかこういうこと全体がかわいそうでかわいい。

5月4日(火・祝)

友だちが子どもを連れて家に来てくれた。夜までいられるというので夫のおごりでカラアゲをたんまり買ってきて、プライムビデオだかネットフリックスだかで名探偵コナンを流しながらみんなで食べた。わたしの子は夕方はやくに寝てしまっていて、友だちの子どもは家のおもちゃでおだやかに遊んでいて、それでわたしと友だちは酒をちょっとやりながら「毛利蘭(※名探偵コナンのヒロイン)はスゲェ」「そう。蘭はスゲェんだよ」、「『パチンコ』映画化するってよ」「観てぇ」などの話をすることができた。ハッピーカラアゲパーティーだった。

5月5日(水)

昼に夫が焼きそばを作ってくれてとてもおいしかったからわたしはもう焼きそば作りを引退しようとおもった。同様の理由で(わたしよりうまく作れる人がいるのにわたしが作る必要なくない?という)引退したメニューにはポトフとステーキがある。どちらも食材費がかさむやつだからありがたい。

夫がきれいに取り分けた焼きそばの「盛り」のかたちをすごくすごく気に入ってしまった子どもはそのかたちを崩したくないばかりに食べるのを拒絶して泣きさけんでいた。最近このパターン多いなあ。先日は、ケチャップでスマイルの描かれたハンバーグをなにがなんでも食べなかった。自分で食べないだけでなく、誰にも触らせまいと奮闘するからカオスだ。食育ってたいへんなんだな。というか、食べもののことになるとわたしたち夫婦はすぐムキになって3さいの子のすることもしばしば流せず、おたがいいこじになって、それで毎回のように食卓まわりのことを大ごとにしているのかもしれない。幼児相手にはある程度割り切りが必要であろう。

5月6日(木)

幼稚園のかえり、同じクラスの子ども数人とその親御さんたちと連れだって公園に行った。きんちょうした。
子どもはクラスメイトとてんとう虫を取り合ったりゆずり合ったり、りっぱにやっていた。

ほかの子らが自転車に乗せられて帰っていったあともわたしの子は1ミリも公園を出る気がなく、知らない歳下の幼児を立入禁止区域に誘うなど(いかんよ)精力的に活動していた。2時間近くいただろうか。わたしは公園のすみに桑の木を見つけ、桑の実を紹介することで子どもの気を引き、実を食むかれをようやく自転車に乗せることに成功した。

帰り道。
「おとうさんにみせる」
と食べずに手に持っていた桑の実ひとつ、自転車の揺れのなかで眠りかけた子どもはいつの間にか取り落としてしまっていたらしい。家の近くまできてガクンと目覚めたかれは泣きさけび、嘆き、拾ってきてよと懇願した。数ブロック引き返して黒い実を探したけれどまあ見つからない。なだめて家に連れ帰ってもずっと泣いていて、さいごはしゃくりあげたまま寝てしまった。

こういうできごとでいちいち激情をほとばしらせる子どもとのやりとりはぐったりするし正直心底めんどうくさいのだが、いじらしくもある。ちっぽけなぎざぎざの実ひとつぶや、そういうものでかれは世界とつながっている。

5月7日(金)

桑の実リベンジ。

きのう落としてしまってかなわなかった「おとうさんにみせる」が成就して満足そうだった。わたしもひとつ食べさせてもらった。

なつかしい味がした。八百屋で買う果物にはない味。つまりそんなに甘くない。おいしくもない。でも食べるって、味って、おいしいだけが大事なのではなかった。桑の実ひとつで意識が一気に子ども時代に巻き戻った。食べるタイムカプセルだ。ひとつぶ20ウン年。

小学生時代のわたしは朝昼晩のごはんに加えおやつもしっかり食べていたのにつねにおなかを空かせていて、ひとりで歩いているときはいつも食べられる実を探していた。桑の実、ぐみの実、こけもも、びわ、ざくろ。そこらで成っているのを見つけるや、もいで食べた。学校の裏にあるもの、公園にあるもの、空き地にあるもの、人んちの塀から飛び出しているもの(いかんよ)。ほとんどは放置されて育った木になるそれらの実はお愛想程度にしか甘くなく、苦さや酸っぱさや雑味はきわだって、スナック菓子とくらべたらちっともおいしくなかった。それなのにわたしは木に登って脚をすりむいてまで少しでも熟した実を求めた。誰にも見向きもされていない実りを鳥とともに享受した。おいしくないのに、その複雑な味はわたしを木のあるところに駆りたてた。

おなじ木でも、実の多い年とすくない年とがあった。甘みがつよくてみずみずしい年とかすかすしてまずい年があった。
おいしいをこえて感じるものがあった。わたしは孤独を感じることの多い児童だったが、実をもいで食べるときはひとりでないと感じていた。なぜだか。

おいしいはある程度つくれるものなのだとおもう。うまみや脂や砂糖をつかって。だけどあの絶妙なおいしくなさ、渋味や雑味は、人間にはつくれないものだろう。

子どもが目を糸のように細め、おいしいねえ、おいしいねえと声に出しながら桑の実をついばんでゆく。赤紫に染まる指と唇をみて、そうだろう、そうだろうとわたしはうなずく。また採りにいこうねえ。ほかの実も見かけたら食べてみようねえ。

12月22日(水)

夫の大事なオンライン会議があるため、夕方に子どもを連れ出さねばならなかった。夫にそうしてくれと言われたわけではないが、子どもが会議中の夫の部屋に侵入しないように1時間半も気を張り続けるのはわたしが疲れるから、出かけてしまうことにした。ならせっかくだしちょっと遠くに行きたいな→どっか一泊してこようかな→軽井沢の宿予約しよ、ということで、スマホでだらだら探して宿と新幹線のチケットを手配した。

わたしは時々遠くへ出かけたくて仕方なくなる、小さな子どもと生活するようになってもこれは変わらなかった、違うところに行きたくて我慢できなくなってしまうのだ、子どもにはいつも付き合わせてしまっていて、今は楽しげについてきてくれるから甘えている(子どもは3さい)。

12月23日(木)

軽井沢でひとっ風呂浴びて帰りたいなーという意見が子どもと一致したため、星野リゾートの「トンボの湯」に行った。子どもは露天の水風呂(えげつないほど冷たい。10℃なかったと思う)にハマッていた。

●2022年

6月5日(日)

朝家を出るわたしを見送るために玄関まで駆けてきた子どもはそのあまりの勢いに玄関マットがすべったせいで尻もちをついた。臀部がバウンドする見事な尻もちだった。今世紀で一番の尻もちじゃないか? 朝からいいものを見せてもらった。

午前と午後と、通しで美術モデルの仕事をした。午前はアトリエの寒さに右往左往し(切れない冷房との攻防)、自律神経が混乱してよくわからないまま終わった。午後になって突然意識がはっきりした。ポーズ中に視線を固定した先にある揺れるカーテンに縫いつけられたタッセルがぶらぶらする様子がくっきり見えだして愉快だった。わたしの午前は一体なんだったんだ? というくらい唐突な絶好調。たまに自我がないまま生活しているときがある、わたし。そのことには自我が戻るまで気がつかない。

12月31日(土)

2022年いちばん入り浸ったチェーン店はカフェドクリエ
2番目はコメダ珈琲
最も足繁く通った公営施設は図書館
読んだ本の種類で多かったのは小説
そのうち3冊の著作はチョン・セラン
1冊だけ買った映画のパンフはRRR
最も感動した麺類は二子玉川の「鮎ラーメン」のラーメン
最も辛かった麺類は池袋の「友誼食府」の四川料理店の麻辣麺
はじめて食べたのはおカイコさま
いちばん依存しそうになった処方薬は「コデイン」
たくさん服を買った街は高円寺
いちばんよく歩いた日の歩数は19,102歩
いちばんよく話した相手は子ども
いちばん難しかったのは手漕ぎボートを漕ぐこといちばん酔ったのは5月の池袋
いちばんハマった肉類は鶏ささみ肉

●2023年

1月1日(日)

謹賀新年。いい年にしようね!

ここ数日で自宅→夫の実家→わたしの実家と移動しているのだが、行く先々でテレビがついていてそこにはいつも井之頭五郎(松重豊)がいる。孤独のグルメがどこまでもついてくる。わたしの実家に着くなり子どもが大きな声で「ええー? またハラペコのおじさん?」と言った。そう。またハラペコのおじさんです。親族一同テレ東つけがち。

1月2日(月)

かつてわたしの部屋だった一室で目覚めた。朝どんなに晴れても光が入らない暗い部屋だ。いくらでも眠りつづけられる。しかしとなりで目覚めた子どもはルンルンで寝床を這い出し、早起きの祖父のもとに駆けつけてさっそく絡みだした。布団にもぐったまま半分の意識で彼らのやりとりを聞いていた。今更ながらに自分の子どもが親と話してるの不思議な感じがする。

昼に両親の家をあとにした。子どもとふたりで予約していた写真館へ。

そのあとも何か所か寄り道をして、やっと自分たちの家に帰ったときには真っ暗だった。寝支度をして布団に入り、子どもと目を閉じてしりとりをした。「ど、ど、どー、『どかん(土管)』って言いたいなぁ」と言ったきり、子どもの息が寝息に変わった。いつも唐突に寝るもんだから驚かされる。

1月3日(火)

バスに乗って酒を飲みに。バスで飲み屋街に向かいながらソワソワしすぎていた。うおお、酒を飲む約束をした人たちがこの先でおれを待っているんだぜー! という焦りがみなぎってしまっていた。
普段わたしはほとんど酒を飲まない。家での酒量はせいぜいビール2缶/週ていど。しかし精神の根底はアル中そのものである。ひとたび街に出て人と酒を交わせば不適切な飲酒スタイルをすぐに取り戻す。不適切な飲酒、楽しくて仕方ないから。わたしにはね。

↑アル中はみんなこう言うよな

記憶は中盤からぼんやりしているけどいい。よく飲んで楽しかったぽいから。シメのビリヤニが美味しすぎてそこの記憶だけちょっとシャキッとしてる。高円寺のトルカリはいいぞ。

6月1日(木)

6月のいちにち目は雨降らず。
きょうは仕事のためにめずらしいくらい早起きをした。家の人たちが寝ているあいだにじたばたと身支度をすませ、子どもの弁当箱に飯とおかずを詰め、7時前に家を出た。出がけに「いってくるね」と子どもに声をかけた。ねがえりをうちながらしぼりだすように「いってらっしゃい〜」と言ってくれたのがおもしろかったしぐっときた。

きょうの仕事先は急勾配の坂の上にあり、ひさびさに尻の筋肉が仕事をした。仕事のポーズ決めでは(わたしは美術モデルの仕事をしている)、謎に片脚に負荷のかかる姿勢を自らつくりだしてしまい落ち込んだ。10年以上この仕事をしていてもまだこういうことをする。いったいわたしは何故こんな、つらい上にモチーフとしても別にカッコよくはないポーズを? と自責したが、休憩時間にイーゼルのまわりをぐるっとまわって描き手たちの絵を見せてもらうとバリカッコいいので気を取り直した。バリカッコいいのはあくまでも絵であり、絵のわたしはわたしではないのだが、まあ。

ポーズが終わると片脚をひきずるように急坂をくだり町中華で肉野菜炒めを食べた。会計のとき50円玉を落とした。見失った。女将さんが50円引いた金額で会計をしてくれた。店出てちょっと泣いた。また来る。

6月2日(金)

6月のふつかめはちゃあんと雨が降った。ベランダに咲いたあじさいが朝の雨をあまりに着こなしていたもんだから見惚れた。

出かけたときには強めの雨、仕事先につくときには大雨で、仕事が終わったら豪雨だった。サンダルを履いてきたわたしは勝者だった。ワンピースを着ていたのも賢かった。大きなビニ傘でドームを作って裾をたくしあげてバス停まで走った。それでもリュックは中までびちょびちょになった。これ抱えて帰宅ラッシュの電車に乗るのはちょっと大変。し・か・し・我はロマンスカーで帰る者。スマホで席を押さえてあるのだ。駅ビルの成城石井でサッと惣菜を買い、指定席でゆうゆうと食べて帰るとき、大人んなってよかったなあって思う。

あまりに雨が強いので子どもはわたしが帰ってくるものか心配していた。今日、かれの幼稚園は休みで、在宅勤務中の父と家にこもって過ごしていた。お昼は宅配の寿司を食べたみたいだった。「雨すごかった?」と何度もきいてきた。「道が川みたいだったよ」とこたえた。
ベランダでは今朝すてきだったあじさいがすっかり溺れていた。切り花にした。

11月1日(水)

明日名古屋に行って友だちに会うのでうれしい。うわついた気持ちだ。渋谷で仕事をした。清潔なシーツの上にひざ立ちになってみんなの前で止まっていた。わたしは美術モデルの仕事をしている。
咳がまだすこし出る。先月ひいたしんどい風邪をまだ引きずっている。ひざ立ちのわたしを描いていた人がいいのど飴をくれた。南天。効きそうな味がした。

医者にかかったときは一部の薬が不足していたようだった。咳が止まらなくなりがちなわたしにも効くいつもの薬を処方してもらえなかった。
仕事帰りにドラッグストアに寄って手に入らなかった処方薬と同成分が含まれる医薬品を見つけて買った。買えちゃうんだ。興奮した。あの成分はいつも咳の発作をおさえてくれるついでに頭をポーっと気持ちよくさせてくれる。ちっちゃい花畑が見える。わたしはその花畑をひどい咳が出るときだけ見ることができるものと自分に言い聞かせている。そうでもしないと必要ないときにも飲んでしまいそうになるから。
明日の荷物に花畑薬をワンシート入れた。お守り。

名古屋には子どもも一緒に行く。5歳の彼はたのしみと何度か声を弾ませて、おだやかな興奮のうちに眠りについた。

11月2日(木)

名古屋に行く日。

せっかく始発駅(東京)から新幹線に乗るので自由席チャレンジをしてみた。平日とはいえ連休前だからどうかなーとハラハラしていたが席はガラ空き、子どもと並びで座ることができた。
前には1歳くらいの子がいて、保護者の男性がタブレットで動画を見せたり適宜お菓子を取り出したりと忙しそうにしていた。その動きはわたしにもなじみ深いもので、でもいつの間にか、その動きをしなくても子どもと列車の旅が楽しめるようになっていたのだ。隣で勝手にごきげんに過ごす子どもを横目に見ながら、わたしはもう二度とこの子に対して乳幼児向けの甲斐甲斐しさを発揮することはないのかーと思った。手もとの文庫本はすいすい進んだ。

名古屋に着いて、不慣れだから迷宮みたいに思える名古屋駅のどこかで友だち親子と合流した。子どもは久しぶりの再会に少し照れるようなしぐさをして、それが友だちには新鮮に映ったみたいだった。あいさつもそこそこに、照れの延長なのか、子ども(5)は迷宮名古屋駅を突っ走りはじめ、友だちの子ども(5)はそれを追いかけてくれ、わたしと友だちは「そっちじゃないよー!」とかれらに呼びかけ、あ、いつもの感じだあと思った。"この4人のいつもの感じ"に早くも身体がなじんでいた。

名古屋城に行った。忍者と会話したり、金ピカの屏風を見たり、金箔をベターッ!と貼った品のないソフトクリームを食べたりと、景気の良いことをたくさんして楽しかった。

城のお堀には鹿が居たらしいのだけれど、残念ながら姿は見えず。子どもたちはそれぞれの家から連れてきた鹿のぬいぐるみを手に持っていた。鹿ミーツ鹿ならず。

お宿は駅近のビジネスホテル。母子2組でビジホの1室に泊まるのは本当に楽しい。ベッドで跳ねる、跳ねる。

12月1日(金)

今日は大学の美術科に行った。面識のある人たらしの講師が自身の受け持つ絵画クラスにモデルとして呼んでくれて。人たらしは話しかけるとき必ず相手の苗字にさんをつけて呼び、相手の目線が合ってから話しはじめる。話す内容はいつだって相手のこと。この人が受け持つ別のカルチャースクールでは受講生はみんなたらされている。人でなしのわたしには人たらしの人たらしっぷりは名人芸のように映るけれど、人たらしにはごくごく普通のこと。呼吸をするように人を好んでいる。この人たらしがって思う。もれなくわたしもたらされている。

帰りには大学の近くの街を散策してハードなパンとよき靴下を買って帰った。靴下は真っ赤なやつ。かかとの縫製が特別なんだって。最近、よさげな靴下を素通りできない。

12月2日(土)

ビュッフェの夢を見ていて目を覚ました。クルーズ船のビュッフェだった。そのクルーズにはどうやらわたし一人で参加していて、ビュッフェのあるクルーズに一人で参加するってどういう状況? 楽しそうだなおい。布団の中でひとしきりうらやましく思った。ビュッフェの料理にあった牛肉とキュウリを和えたサラダが美味しそうで皿にいい感じによそっていたのだが食べるところまでいけずに残念だ。わたしは夢のなかでもずいぶん味やにおいを鮮やかに感じるほう。

ほとんど毎晩かならず夢を見る時代が長く続いたあと、30代に入った頃だろうか、急に夢を見る(おぼえている)頻度が激減した。あまりに突然の変化だったので、現実だけを生きろといきなり突きはなされたようで理不尽に感じたくらいだった。そのまま今に至るまで、しぶしぶ夢なき日々を生きているけれど、こうしてたまに細部のきちんとした夢を見ると心が落ち着く。夢の晩餐会の牛肉とキュウリのサラダはトングで持ちあげるとき八角と香草のにおいがした。

12月3日(日)

子どもと教会のチャリティコンサートに出かけてバスと電車を乗りついで帰ってきたら熱が38℃近くまで上がっていた。うわ、ぼーっとすると思った。なんだかわたしの身体は発熱がブームなんだろうか、月に一度のペースでこれくらいの熱を出すので、慣れっこになりかけている。部屋着に着替えて布団に潜りこみガタガタ震えていたら子どもがヌイグルミを数体寄り添わせてくれてやさしい。イーブイ、ゴマフアザラシ、ペンギンの赤ちゃん。
布団から這い出して食べた夫の料理は大きなエビがぷりぷりして美味しい感じがした。味覚が遠くに行ってしまったようで味や香りが上手に掴めない。もどかしい。

12月4日(月)

熱は下がっていた。不快症状は盛りだくさん。おにぎりむすんで子どもの幼稚園に持たせて送りも夫にまかせてあとはぶっ倒れていようと思っていたのになぜか気力だけがみなぎっていて、無印から届いた家具の組み立てをひとりでもくもくとやった。

帰ってきた子どもは自分の机が組み上がっているのを見てテンション爆上がり。早速その特等席で絵を描いたり工作したり楽しんでいたのでじわじわ嬉しかった。わたし家具の組み立てってけっこう得意ってか好きなんだけど、やる機会ってそんなに多くないから、好きなことして喜んでもらえて何よりだよっていう。

晩ご飯にはずっと自分でも楽しみにしていた麻婆豆腐を作った。わたしの食べたい麻婆豆腐はわたしにしか作れないのよ。給食のと中華料理屋のとの中間から、ちょっと給食の寄りくらいのやつ。狙いどおり美味しくできたっぽくて子どもも夫も飲むみたいに食べていたけどわたしは鼻がまったくきかないタイプの風邪をひいていて(忘れてた)、にんにくも醬(ジャン!)の風味も分からなくて美味しさ半減。食卓でわたしだけスン…としていてさみしかった。

12月5日(火)

ゲームセンターの「太鼓の達人」に子どもがはまっている。備え付けのバチで太鼓をタイミングよく叩く音ゲー。3曲叩けて100円という料金設定がありがたく、幼稚園帰りなどにしょっちゅうゲーセンに寄っている。2人プレイでわたしもいっしょに叩いている。
太鼓の達人はわたしが10代のころからあった。あったが、リズム感覚に難ありのわたしは音ゲーに苦手意識があり、なるべく近づかないようにしていた。
子どもに強く誘われてしぶしぶ、15年ぶりとかでやってみたところとても気持ちよかったので、今では何ならわたしがはまっている。家庭用ゲーム機版も買おうかしらという勢いだ。

今日はアニソンとゲーム音楽を中心に叩いて大変盛り上がった。

12月6日(水)

早起きの日。暗いうちにのそりと起きて極小ホカペの上で化粧をする。肌にのせたプライマーが乾くのを待つ間、カーテンを寄せて朝日を拝んだ。うちの朝日はスカイツリーのところをのぼってくる。



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