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●2021年3月の日記 【上旬】

3月1日(月)

「お〜いお茶の俳句の募集が2月いっぱいだぞ、急げみんな!」
という旨のツイートをしておきながら、自ら応募を忘れて3月を迎えた。


2月は短い。2、3日少ない。30回以上の2月を経験した者として、ちゃんとわかっているつもりだ。それでも28日の夜に「もう今月終わりじゃん!」って思うことがどうしてもできない。今朝ラジオから「いやぁ3月ですね〜」って声が流れてきたときは思わず床に膝をついた。お〜い、お茶……。

お〜いお茶に俳句を送っておくことで入賞作品発表のある7月くらいまでは「いちおう死なずにいてみようかねー」となんとなく前向きに生きていられるという効能がある。労力に対して得られる効果がすばらしい。入選するとお茶ももらえる。

次回は忘れずに応募しよう。11月ごろからです!

肉とトーフと刻んだ野菜、合わせて1キロ以上にもなった肉だねをひたすら焼いた。フライパン3回転。焼いたそばから子どもが食べるので、ぜんぶ焼き終わって「さーごはんにしよう」というときには子どもはすでに満腹だった。
今回のトーフハンバーグは夫にやたらと刺さり、「これまでの人生でいちばんおいしいハンバーグだったかも」とまで言わしめた。彼はそもそもハンバーグをそれほど愛してはおらず、外食でハンバーグを注文することはほぼ、ない。だからハンバーグの母数は圧倒的に少ないわけだけど、それにしたって自分がこねて焼いたものをいちばんと評されるのはうれしい。そんなトーフハンバーグのレシピはこちら。

何度もおせわになっています

3月2日(火)

からあげ弁当を買って子どもと分け分けした。天気が不安定で風が強いから出歩くのは昼前で切り上げた。

外でいろんなものが風に飛ばされて転がる音がきこえてきた。わたしたちはテレビの前のホットカーペットに並んでだらりと過ごした。

3月3日(水)

朝子どもが今までにない切実さで「きょうはおうちにいる」「○○(保育園)いかない」「おかあさんとねんねする」と言いはっていた。食欲もなく、だいすきなポテトも手つかずだ。ホットカーペットの上で丸くなって強く目を閉じている子のようすに、「あ、これはほんとに無理なときのやつかも」とおもってしばらく横につきそっているうち、みるみる具合のわるさが小さなからだの外側にも現れ出てきたからあわてて保育園に休みの連絡を入れた。子どもの体調変化はしばしば唐突で、びっくりする。

回復も唐突。苦しげに数時間からだを丸めて眠り続けていたかとおもえば、昼すぎにパッと起きあがり、すかさず「げんきになった」「だいじょうぶになったからジュースのめるね」と宣言。厚い雲が晴れたように、さっきまで一切見られなかった笑顔がパァッとのぞき、そこからはもうずっと快晴だった。食べそこねた朝食のぶんを取り返すつもりなのか食欲がすさまじく、視界に入る食べ物をすべて要求した。バリバリと音がするくらいの勢いで飲み食いをつづけ、動きにはキレがあり、声にはハリがある。午後の診療がはじまったらかかりつけ医に診せにいくつもりだったがどう見てももう元気だからとりやめた。

元気になってよかったが、食べものが冷蔵庫からなくなった。すさまじい。数時間のスリープモードの間に胃袋の容量をアップグレードしたのか。

3月4日(木)

子どもの体調はふたたび悪化することもなく元気に起床した。ひと安心だ。

保育園への送りは在宅勤務の夫に対応してもらい、わたしは先に家を出た。玄関で見送られるのはなんだか心強い。

電車で読む本に、きょうは本棚から池波正太郎『鬼平犯科帳(二)』をひっつかんできた。古本屋でこの巻だけ安く売られていたのをなんとなく買ったものだ。いつも行く喫茶店の棚にやたらと充実しているまんが版の『鬼平』を読んでいたから、登場人物やなんとなくの世界観はわかる。2巻からでもすんなり読めた。内容は、江戸時代の捕物帳 〜エロと、男のロマンを添えて〜 って感じだ。共感も感情移入もできないが、きょうのわたしにはそれがよい。いま、ここでない物語、わたしのではまったくない物語を必要としていた。つまりはつらい仕事の前の現実逃避である。

こちらはまんが版

『鬼平』の世界観に浸かったままつらい仕事を乗り切った。ありがたいことにわたしにはつらい仕事ってめったにないのだが(いまの仕事がすきなのだ)、たまにきょうのようなつらい仕事先があると心がペシャンコにつぶれてしまう。だから遠い遠い江戸時代(池波流の江戸時代)に心をトリップさせてペシャンコを回避した。大成功である。ありがとう。物語世界。いつもさまざまな形でお世話になっています。

3月5日(金)

子どもと一日じゅう、自転車圏内をウロウロして過ごした。子どもは最近自転車に取りつけたレインカバーに座席を包まれるのがお気に入りで、雨が降っていなくてもカバーを閉じさせて「お部屋だねえ」とやっている。子どもって狭い空間をこのむところ、あるよなあ。押入れとか。ダンボールにも入りたがる。わたしには狭所・閉所への軽い恐怖があり、そんな子どもを見ていて勝手にソワっとしてしまう。

夕方に大きめの公園に寄った。ひとりでいた小学生くらいの年齢の子が声をかけてきて、子どもとつかず離れずのちょうどいい距離感で遊んでくれた。10さいにはなっていないだろうという、たぶん低学年の男の子だったが、わたしに対して「雨は6時ごろから降るそうです」とか「あの緑の鳥はメジロです」などと大人びた話しかたをした。わたしもしぜんと背すじがのびて、「あ、予報ではそうなんですね」「鳥にくわしいんですね」などと応えた。

わたしがその年ごろの子どもだったときをおもいだすと、敬語なんてまったく使えなかったし、自分より小さな子どものことは「なんかうるさいやつら」くらいの認識だった。それはわたしが子どもっぽい子どもだったこともあるだろうが、この子がとても大人びているのもたしかで、「いまわたしは奇跡の子を目にしている…」とおもった。

予報より早めに雨がぱらついてきた。男の子に礼を言って別れをつげ、家に急いだ。こんどはレインカバーが本領を発揮だ。「お部屋」のなかで雨からまもられて、子どもはすぐに眠った。

自転車の揺れのなかで眠るのって気持ちいいんだろうな。3回に1回は眠る。大人のわたしにはできないこと。いいなあ、いろいろ。抱っこされるのとか、大人のおなかの上でくつろぐのとか、歯みがきやってもらえるのとかも。…なんて、子どもにはできないことをすき勝手にたくさんしてのけている大人のわたしは、その特権のことはわきに置いて、子どもをうらやんでいる。子どもならではの大変さのこと、ちゃんと憶えているのにね。

3月6日(土)

長いこと読みつづけていたレイチェル・ギーザ『ボーイズ』をようやっと読み終えた。いやあ、よい本だった。

長いこと読んでいたのはわたしが小説以外の文章を読むのが超絶遅いせいだ。この本はとても読みやすい。徹頭徹尾、平易なことばがつかわれているため、専門的な知識がなくとも理解できる。実際のエピソードも多く引かれているから、語られていることに想像力をかきたてられる。入っていきやすい。

これは『ボーイズ』の「はじめに」部分が公開されている記事。この記事をきっかけに書籍を買った。

家のいろんな場所でこの本をしつこく読んでいたので、夫も気になったようだ。ふだん文庫本しか読まないわたしがそこそこサイズの大きい本を持っているから目立ったのかもしれない。ついに先日「それ、おもしろい?」と訊かれた。「かかったァ!」という歓喜を隠して「うん、とても興味深いよ。もうすぐ読み終わるからよかったら読んでね」とクールに(?)こたえた。男の子として育てられ、男性として生きている夫と、この本の感想を話し合ってみたい。

その後、わたしが読み終わったあとの『ボーイズ』が夫の積ん読エリアに移動されているところを確認した。「しめしめ」とおもった。そのうち読んでくれるといい。

3月7日(日)

1年ぶりくらいで揚げものをした。ささみをチーズと海苔で巻いたやつ。

むかし母が「揚げものって揚げるだけでおなかいっぱいになっちゃって食べられないんだよね」と言っていた。わたしは、そんなことある?って笑いながら母のぶんまで天ぷらを平らげていた。

あのとき母が言っていたことが今日わかった。調理しているときの油のにおいで胸が充たされてしまうのだ。ささみ海苔天はそこそこおいしく揚がったはずだが味があまりわからなかった。油酔いだ。

久しぶりに食材を揚げてみた感想としては、天ぷら屋さんとかとんかつ屋さんはすごいなっておもった。油酔いも、慣れるのかしら。

3月8日(月)

起きてパン食べて子どもを園に送ってユーチューブ体操して化粧して髪巻いて仕事に行った。外はぱらぱら雨が降っていて傘をさして出たけど駅についてしまえばそこからは地下鉄で、仕事先も駅から直結で、外がどんななのかずっとわからないまま仕事して終わって帰ってきて駅から出たら雨は止んでいた。穴ぐらの1日だった。

3月9日(火)

仕事があると思っていたらなかった。先方に確認したら今日じゃないって。たぶん仕事の約束をしたときのわたしのメモがまちがっていた。

せっかく休みになったんだから映画を観るとか高円寺の古着屋を覗きにいくとかすればいいのに、Netflixでスタンダップコメディ流しながら弁当たべて力なく笑っていた。元気ないなあ。

夜はミルクリゾットを作った。米を研ぐのもおかずを作るのもめんどうというときにリゾットはさいこう。生の米を刻んだ野菜と炒めてどうのこうのしているうちに一食できるのがよい。あまり失敗がないのもありがたい。リゾットは子どもがいちばん積極的に食べるメニューでもある。おかわり要求されて感激しちゃった。

わたしはもともと副菜っぽいものがすきで、小鉢がたくさん並ぶ食卓を愛してきたけれど、子どもと食べるようになってからは一品ドーン!みたいな食事ばかり用意している。ラーメン、パスタ、焼きそば、うどん。子どものからだが大きくなって食欲がますますわんぱくになれば、わが家の食卓にもついに丼ものが登場しはじめるかもしれない。メンバーが変われば食卓の様相が変わるものだなあと感慨深い。

3月10日(水)

仕事を終えて地下鉄に乗り、駅から地上に出たら外がまだギンギンに明るくて「春じゃん」とおもった。

子どもを迎えに行くまで1時間くらい余裕があった。生協のレシピにしたがってキャベツでおかずを2品こしらえ、研いだ米をザルにあけて、みそ汁用の鍋に水をはって昆布を入れ、(見ていますか…土井善晴先生…)とひとりごちながら保育園に向かった。

この本に感化されている。
食事啓発本

その後、米はきのこの炊き込みご飯になり、昆布だしはなめことねぎのみそ汁になった。食卓がきのこ渋滞。



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