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過去のこと

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過去のことを思い出して転げ回りながら書いています、読んでもらえたら嬉しいです。
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生えてくると思っていた——性自認にまつわるひとりずもうの記録 1/2

0.出生 わたしを妊娠していたとき、母はおなかの子を男児と認識していた。  それは直感的なもので、なにも家に嫡男を欲していたとか女の子を育てるのが嫌だったとか、そういうことではないらしい。少なくとも意識的には。「お腹のなかにいるのは男の子」という強固な思いがただ母をとらえたのだという。  占いをする知り合いが「生まれてくる子は男の子」と請け合ったことも彼女の直感を確信に近いものへと押し上げた。  夫婦は生まれてくる男の子のための名前をじっくり、時間をかけて考えた。真剣に候

生えてくると思っていた——性自認にまつわるひとりずもうの記録 2/2

9.転機 男性器が生えてくるという強迫観念を、手放す……とまではいかなくとも、いっこうに様相の変わらない性器のようすにひとまず安心してよさそうだと思えたのは、高校2年生のときになってようやくだった。  その年にはじめて彼氏ができた。彼との恋愛を通して女性器を使った性行為ができると確認できたのはとても大きなことだった。わたしの中には男性の芽がひそんでいるかもしれず、それでも恋愛対象である男性とはどうやらセックスができるらしい。そのことはわたしに大きな安堵をもたらした。妊娠はで

せんろはつづくよ

子どもが電車をすきだ。とくに誰も促さないのに、1歳の途中からすきになった。 いま彼は2歳半で、電車ブームのピークはどうやら過ぎた。興味の対象が増えたために、電車まわりのことは大好きな趣味のうちのひとつという位置づけになってきたように思う。電車を見るとクールにその系統名を呼んだりしている。 しかし1歳半から満2歳にかけての彼はそんなものではなく、寝ても「がたんごとん」覚めても「がたんごとん」ときどき「かんかんかん」、口を開けば「がたんごとん いく」。クールさなどかけらもない

母のこと、小さなレイコ

 令子は東北に生れた。一九五〇年代も終わりにさしかかった頃のこと。米農家の長女として生れ、上には長男が先にいた。数年後には妹も生れ、令子は三人兄妹の中間子として育つことになった。  雪深い土地だ。おおよそ十二月から翌三月まで山も田も、雪の中に埋れてしまう。  令子と一緒に暮らしていたのは祖母、父、母、兄、妹。家の外には牛がいたこともあった。  幼いころには水害があった。そのときに、氾濫した川を牛が流されていくのを見た。家に被害はなかったから、流されていたのは家で飼っていた牛

子猿のゆううつ、楽園の出口(2)

 その場その場の優位な価値観に身をまかせ、自分の目でものごとを見ないこと。自分の頭で考えないこと。それがもたらした暗さについて。  男も女もなく、等しく子猿のように育てられた幼稚園時代をとても快適に過ごしたものだから、小学校に入ってものすごく驚くことになった。この新しい小学校という世界では、男女はあまりにもはっきりと分けられていた。出席番号順の名簿は男女で別々。教室での席割りも女子の列、男子の列とが作られた。体育の授業で着用する指定の体操服もそれぞれ違うものが配られた(女子

子猿のゆううつ、楽園の出口(1)

 わたしの通っていた小さな幼稚園には小さな園庭があった。たいして多くもない園児たちを集合させることもできないほどだったから、園庭というより個人宅の庭くらいの趣だった。それもそのはずで、その小規模な幼稚園は実際、園長一家の自宅の1階部分だった。  2階の住居スペースと1階の幼稚園とは、外階段ではなく普通に屋内の階段でつながっていたから、屋内遊びをしているときなどに園長の娘たちが降りてくることがあって、そのたびに驚かされた。彼女たちは小学校に通っていたが、園の開いている平日昼間

18さい、スイとのこと(2)、逃亡癖と冷蔵庫

スイのことが好きだった。ほんとうに、すごく。付き合う前から。付き合ってからはもっと。でも、例の公園、別れの儀がセンチメンタルに執り行われた夜の1ヶ月前にはすでにわたしの気持ちは終わってしまっていた。  大好きから終了までストンといってしまったきっかけは、たった一つの小さな幻滅だった。幻滅したのは、スイからにじみ出たごく普通の、ありふれた思い上がりに対してだった。誰とも付き合ったことがなく、自信に満ちているとはいえない17歳の男の子が、自分を好きだという女の子と交際してあれよ

17さい、スイとのこと

 はじめて付き合った男の子の名前はスイという。スイを好きになって間もなく、向こうから付き合ってほしいと言われて、付き合いがはじまった。  (1)好きになった相手に(2)告白されて(3)付き合う、というその後の人生でもなかなか訪れることのない事象が一挙に押し寄せたので、わたしはその日を境にまるで違う生き物になった。17歳、クラスメイトのスイと手に手を取り、恋愛の世界に足を踏み入れた。頭上にファンファーレが鳴り響くのが聞こえるようだった。  手をつないで歩くこともキスも抱き合