起こること(補足記事)医療編
自分にとって悪いと思うことに、病気があると思います。
それも同じです。
身体があなに教えてくれていることの一つが不調や、その不調が大きくなった病気です。
(世の中に悪いことも良いこともないという視点からいうと、この悪いとか良いとう記載は違うような気もしますが、一般的に言って自分にとって悪いと思われること、自分にとって良いと思われることという意味合いで記事には良いと思われること、悪いと思われることと記載しています。)
前の記事に書いたように、つらいこと、悲しいこと、不快なことはどうにか解決して少しでも楽になりたい!!とニンゲンは思い、そして何か余計なことをしたり、気分転換と称して逃げたり、本当に逃げてみたりします。
嫌だと思うことをどうにかこうにか解決だけに走ると、その場は治まったように見えて、また別の出来事で同じような思いや、もっと自分にとってひどいことがやってきます。
病気に対しても人生と同じことが言えます。
不調や病気はたしかにつらいです。
しかし病気や不調などを、どうにか楽になりたい、この気持ちを消し去りたい、取り去りたいと思って、手術してなかったことにすること、熱がつらいから解熱剤を飲んで楽になった気分になること、吐き気止めなどの○○止め、だれかを悪者にするように、ある特定の菌を悪者ものにする滅菌、除菌、抗生物質など、、、、、
その場は一見よくなった、無くなった、消えたと思われますが、このような対処、解決しようとする行為がさらなる病気や悪化、繰り返しを生むのだと思います。
今の出来事は自分にとって必然であり、気づきなのと同じで、不調や病気も悪者ではなく、自分を教えてくれる存在だと思ってみてはどうでしょうか?
そんな優しい存在を悪と決めつけて、取り除いたり、殺すということは自分のことも殺すことなのではないかなぁなんて思います。