心の眼
夫婦仲良くは何のためか?
仏典や聖典、あるいは孔子の儒教や老子の道教がいまだに存在するのはなぜだろう。
それを考えていたら、「心の眼」にたどり着きました。
科学的には読心術というものがあります。
心理学という科学の力で人はさまざまな知識を得ましたが、
一向に、平穏な日々というものは訪れません。
大きな憂いごとは戦争ですが、小さな諍いは日常的にあります。
諍いは心地よいものではありません。結果、恨んだり、妬んだり、
人の心の中は暗雲が漂っています。
その暗雲を祓うために文明は生まれたようです。
いつの時代にも便利さは追究されました。
楽に、早く、物事を解決するためにです。
これは人間が知恵を持っているからです。
目的は他者より抜き出ようとしたからでしょう。
競争というのは人の宿命でもあるのでしょう。
しかし、そうした生き方に安らぎは得られないでしょう。
とはいえ、生き甲斐にはなるでしょう。
宗教は戦争や人の諍いごとを避けるために生まれたのでしょう。
そして、多くの人々は宗教に縋ったのでしょう。
しかし、世の中は文明は発展しても人の心は発展していません。
「心の時代」と言われながらも、それを解決する道は造られていません。
さまざまな法律を作成する政治はこれを解決できるでしょうか。
そこに疑問を感じるのは日本国憲法さえ守れていない事です。
おまけに権力の座を利用して国民を苦の世界に追い込む行為が平気で行われています。
民主主義のかけらさえありません。人は権力を得ると心変わりをするようです。
➖野草庵➖