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【ショートストーリー】俺は、孤独じゃない

「ほら、これおめえにやるよ。俺からの引っ越し祝い、渡してなかったからな」

 そう言うと、里中さんは俺に向かって大きな白のレジ袋を手渡した。

「わざわざありがとうございます、師匠!」

 礼を言いながら袋を受け取ると、里中さんは恥ずかしそうに顎を掻いた。

「おめえ、こないだも言ったけっど、師匠ってのはやめてくれねえか。恥ずかしいからよお」

「いえ、里中さんは俺にとってこの村での師匠ですから。そう呼ばせてくださいよ」

 俺がそう言うと、里中さんは観念した、とでも言いたげに肩をすくめた。

 里中さんは、この集落のリーダーのような存在だ。本業は農家だが、地区の行事を仕切ったり、役場から頼まれて民生委員の仕事もしている。
 そんなこともあってか、俺がひと月前にこの村に越してきた日から、里中さんはずっと世話を焼いてくれているのだった。
 引越しを手伝ってくれただけじゃなく、いろいろと相談に乗ってくれたり、こうして折に触れて訪ねてきてくれたりと、俺がここになじめるように何かと気にかけてくれている。
 だから俺は感謝と信頼を込めて彼のことを『師匠』と呼んでいた。この村での暮らしを教えてくれる師匠、という意味だ。

 俺は渡された袋の中身が気になって、開けて中を覗き込んだ。

「え……これ、何ですか?」

 思わずそんな声が出てしまった。

 野菜か何かが入っているのだろうと思った袋の中にあったのは、鉢植えだった。
 植えられている植物は実に奇妙な見た目をしていた。本当に植物なのだろうかと疑問に思うほどにだ。一見するとススキに形は似ているが、大きさは10センチほどしかない。尖った葉は赤黒い色をしていて、おまけに油を塗ったようにテラテラと光っていた。

「まあ、なんというか……草……だな。この辺りの山にしか生えねえやつを採ってきたんだ。おめえ、ゆくゆくは畑やってみてえって言ってただろ? まずはよ、練習でそれ育ててみるってのはどうだ。いきなり野菜育てて、もしも失敗したら、土いじりが嫌になっちまうかもしれねえからよ」

 袋の中に釘付けになっている俺に、里中さんがそう声をかけてくれた。

 俺が前に家庭菜園を作ってみたいと言ったことを覚えてくれていたらしい。なるほど、これでその練習か。たしかに、その辺の草あたりから始めたほうがいきなり野菜に挑戦するよりも気楽でいい。
 それにしても、不思議な植物もあるんだな。この辺り、しかも山にしかない植物だから見たことがなかったんだろうか。

「そうですね、やってみます」

「おう。まあ、そんなに気負わなくてもなんともねえからよ。そうだ――」

 そこまで言ってから、里中さんはふと神妙な面持ちになった。そして、ほんの数拍おいてから、こう切り出した。

「そういや聞いてなかったけど、おめえはなんでここに一人で越してこようと思ったんだ? たしかに村の移住キャンペーンだとかで空き家がタダで借りられるって言ってもよ、都会で暮らしてたんなら、こんな辺ぴな村、不便なだけでねえのか?」

「うーん……ずっと都会にいたことにはいたんですけど……」

 里中さんの疑問ももっともだ。ここでの暮らしはそれまでとは全く違っている。当たり前だと思っていたことが当たり前ではない、それを不便だと言うのならそうだと言わざるを得ない。
 だが、俺は都会から出ていきたいとずっと思っていた。それはこんな理由からだ。

「……ずっと、孤独だって感じていたんです。周りが人間で騒がしいほど、自分は皆と違うんだって思っちゃって。ならいっそ、人が少ないところにいたほうがいいんじゃないかなと。そんな時にここの移住キャンペーンを知って、これだって思って引っ越して来てしまいました」

「……孤独、かい」

 今ひとつ腑に落ちない、といった様子で里中さんは俺の言葉を繰り返した。

「ま、とにかく練習してみなよ。困ったことがあったら聞いてくれやな。また来るからよ」

「はい! ありがとうございます!」

 里中さんが帰った後、俺はもらった鉢植えを取り出して観察した。見れば見るほど不思議な植物だ。しかし、どういうわけか見ているうちに「奇妙だ」という感情は「美しい」へと変わっていき、この植物にすっかり魅了されてしまった。
 山の植物ならば外で世話をしたほうがいいはずだ。でも、どうしても近くに置いておきたい。
 そう思って、俺は鉢植えを囲炉裏のある部屋に置き、一緒に夕飯を食べ、その傍らで眠りについたのだった。


「ごめんくださーい」

 次の日、昼前にそんな声がして縁側に出ていくと、ご近所の矢野さんが青い小花柄の割烹着に長靴姿で庭に立っていた。俺の姿を見ると、笑顔で手にしたレジ袋を顔の前に掲げて見せた。
 里中さんだけではなく、近所の皆は毎日のように俺の元を訪ねてきては、畑の野菜や作りすぎた料理を分けてくれる。一人暮らしの男が越してきたものだから、ちゃんと食べているのか気にしてくれているのだろう。

「どうも、矢野さんこんにちは」

「これ、うちの畑で採れたカブなんだけど、よかったら――」

 そこまで言うと、矢野さんの笑顔が一瞬で消え、さっと青ざめた。

「どうしました? 大丈夫ですか?」

「え、ええ。ねえ、その花……」

 矢野さんが恐る恐るといった様子で俺の後ろを指さした。その先は、障子を開け放って換気をしていた囲炉裏の部屋に置かれたあの植物だった。

「ああ、これですか? 昨日、里中さんからいただいたんです。もらったときにはつぼみなんてひとつもなかったのに、今朝見たら花が咲いてたんですよ。一晩で丈も倍近くになったし、この村には面白い植物があるんですね」

 そう、あの植物は一晩で驚くほど成長していた。10センチほどしかなかった丈が一気に伸び、いつの間にか伸びてきた茎にはリンドウに似た濃い赤色の花をいくつもつけていた。

「そう、そうだったの、へえ、不思議ね、うん」

 矢野さんは明らかに様子がおかしかった。笑顔ではあるが口元は引きつっているし、顔は青ざめたままだ。そして、

「それじゃあカブ、ここに置いていくから。よかったら食べて。じゃあ」

と言うやいなや、立っているその場所に手にしていた袋を置いて、足早に庭から出ていってしまった。

「矢野さん? カブ、ありがとうございます!」

 袋を拾いに行きながら矢野さんの背中にそう声をかけたが、振り返ることなく行ってしまった。
 あの植物を見て血相を変えたように見えたが、いったいどうしたんだ?

 俺は振り返って囲炉裏の傍らに置いたあの植物に目をやった。真っ赤な花が風に吹かれてゆらり、ゆらりと踊るように揺れていた。
 ああ、美しい。
 俺はその姿にそれまで感じていた違和感を一瞬にして忘れ、そのまま一日を終えた。

 だが、その違和感は、翌日になって俺にとんでもない現実を突きつけるのだった。


 翌日、いつもより早くに目を覚ました俺は、近所の散歩に出かけた。引っ越してきてから運動をしようと思っているのだが、たまたま早くに目を覚ました日しか実行できずにいるのだった。
 庭を出て、あてもなく集落を歩く。
 そうだな、集落の端にある里中さんの家まで歩いて、引き返してこようかな。
 そう考えながら、2軒先の家まで来たときに気がついた。

「あれ? 誰もいない……?」

 俺にとっての早起きは、村の皆よりもずっと遅い。前に散歩した時も、すでに皆は畑仕事や家事のために外で忙しく動き回っていた。
 なのに、今日はどの家も静かすぎる。人の気配が全くないのだ。よく見ればぬ、各々の家の庭に停まっていた車もない。
 妙な胸騒ぎを感じて、俺は里中さんの家を目指して走り出した。


「師匠!」

 俺が里中さんの家の庭先でそう叫んだ時、里中さんは大きな旅行鞄を抱えて玄関から出てくるところだった。

「……お前か」

 俺を一瞥すると、里中さんは絞り出すようにそう言った。眉間の深い皺からは、ばつが悪い、困った、気が重いといった様々な感情が見て取れる。

「皆どうしたんですか? どこへ――」

「おめえ、あの花咲かせたのか」

 俺の質問に返ってきたのは、そんな言葉だった。
 まるで咎めるような口ぶりだ。あの花、とはもらったあの植物で間違いないだろうが、あれがどうしたって言うんだ?

「はい、咲きました」

「あれはな、花なんか咲かねえんだ」

「え?」

 花なんか咲かない? 俺がその言葉の意味を理解する前に里中さんは言葉を続けた。

「咲かねえはずなんだ、普通・・なら。なんでも、あの花は鬼だけが咲かせることができるんだとよ。大昔にあれが咲いたときに、鬼が来て村を滅茶苦茶にしたんだと」

「鬼……?」

 俺はそうつぶやくことしかできなかった。
 なんだ、何の話だ?

「それでな、昔っからの言い伝えで、『あの花が咲いたら不吉なことがある。何を捨ててでも村から逃げろ』って言われてんだ」

 そこまで話すと、里中さんは大きく溜息をついた。それが意味するのが何なのか、もはや俺にはわからない。

「まあ、よくある眉唾もんの言い伝えさ。ここはそんな言い伝えやしきたりばっかりだ。時代が変わって廃れたものも山ほどある。だが、あの花が咲いたら逃げろってことだけは、何があっても絶対守れとずっと言われ続けて来たんだ。だから――」

「親父、そろそろ行かねえと! 俺、午前中しか仕事休めねえと言ったべよ」

 ふいに、聞き慣れない声がして振り向くと、庭に里中さんのものではない大型のバンが停まっていた。中にはダンボール箱や座卓が隙間なく詰め込まれている。
 声をかけたのはそのバンの傍らに立っている男だった。きっと里中さんの息子なのだろう。

「おう」

 里中さんはバンの男に向かってうなずいてみせると、俺の方を向き直り、

「……すまねえな」

とだけ言ってバンに乗り込んだ。

 ほどなくして二人が乗ったバンは俺の横を通り過ぎ、里中さんの家から出ていった。


 それを見て、俺は遅まきながらようやく事態を飲み込んだ。
 俺があの花を咲かせたから、村の皆は言い伝えに従ってここから逃げたのだ。そして、里中さんも……

 事態を理解していくにつれ、俺の胸にはひとつの感情が湧き上がっていた。
 里中さんの話が本当ならば、そこには紛れもない事実がひとつあるからだ。

「……じゃない…………」

 その事実を噛みしめたくて、俺は小さな声で口に出してみた。何度も口に出すたび、声が大きくなっていく。
 だって、どうにかなりそうだ。

 ――嬉しさで。

『あの花を咲かせるのは”鬼”だけ』
『あの花が咲いた時、”鬼”が来た』

 ということは、いるのだ。
 俺と同じ存在が。俺以外にも、いるのだ。

 ”鬼”が!

 そこまで考えが至ると、俺はもう我慢できずに叫んだ。心の底からの歓喜の叫びだ。


「孤独じゃない! 俺は、孤独じゃない!」







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