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小学生に「デス・エデュケーション」をしたい!

こんにちは、天野です!

小学生にデス・エデュケーションをしたい、ということで「デス・エデュケーション」についての記事を書きます!

デス・エデュケーションってなに?

 まず第一にデス・エデュケーションって何だろう?と疑問を持った方も多いのではないでしょうか。

デス・エデュケーションは「死の準備教育」と訳されます。上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン氏によって提唱されたデス・エデュケーションは、「死」を正面から見つめることで、命の尊さに気づき、限りある「生」をより良く生きることを目指す考え方です。肉体の衰えを止めることはできませんが、心のあり方を変えることで、最期の瞬間まで人間的に成長する機会を得ることができます。

 つまり、私は人間が死ぬという事を自覚し、向き合い、考えることが、自分のより良い人生を考えるための機会になると考えています。そのような自分の人生や死への答えのない問いを持ち続けるための教育、「死」と向き合うための機会をつくる活動をしています。

今、デス・エデュケーションは必要なの?

  デス・エデュケーションは今こそ必要です!

 今、死は社会からどんどん遠ざけられていると感じます。大人も子どもも死生観が変化していたり、考える機会を失っていたりすると考えます。それによって、人生について考える機会を失っているのではないか、本当に人生を大切にできているのだろうかと問題視しています。

なぜ死が遠ざかっているのか?

①死別経験の減少

 かつては大切な人の死別経験が「生」や「死」について学ぶ機会で、家庭でこのデス・エデュケーションが実施されていたと考えます。ですが、医療化・都市化・核家族化等によってそれが失われつつあります。多くの方が病院で死を迎えることや、家族、親戚、地域がより密着し、助け合わないと生きていけない世の中から、個々で生きていく時代になってきている、死によって悲しむ経験が少なくなってきているとも言えます。

②技術革新

 VR・ゲームなどの仮想現実による「人生もゲームと同じようにリセットできる、死んでもよみがえることが出来る。」という考え方の影響を受けていると考えます。

③学校教育でのタブー視

2017年、2018年に告示された幼稚園教育要領及び学習指導要領(小・中・高・特別支援学校小・中学部)の中で「死」という語が発見できたのは、わずか一箇所であったと佐藤(2019)は述べている。
 片桐(2016)が2015年に大学生105名に行ったアンケートでは、小学校、中学校および高等学校のすべてにおいて、「生と死」に関する授業経験を有さない学生が半数を占めていることが明らかになっている。

 これらの調査結果から、現在の学校で「死」についての教育を避けていることが考えられます。

 また、学校において死がタブー視される理由として岡田(2014)は宗教との関係、戦時教育の反省、暗く重苦しい内容、短絡的な行動や自死の恐れ、カリキュラムや指導方法が未確定、教師の指導力不足などを挙げています。

 ですが、そのような現状でも、「死」というのは人間生きている限り、いつでも誰にでもやってきます。「死」を考えるのに早いも遅いもなく、0歳の人も100歳の人も「死」への距離感は同じで、「死」というものに向かって現在同じ時を過ごしています。この社会の現状、死の自覚の重要性を知った今が死について考える時です。

そして、学校教育でタブー視されているように「まだ早い」、「リスクが大きい」と遠ざけられてしまいがちな小学生にこそ死について考える機会をつくりたいと考えています。

この活動のきっかけ

 ここまで、社会や学校教育の現状からデス・エデュケーションの重要性について書いてきましたが、人生を大切にするきっかけ・方法はたくさんあるのではないか?なぜ私がそこまで「死」にこだわっているのか、経験を基にお伝えします。

 高校2年生までの自分はすべてに満足していなく、自分をすごく抑圧していました。自分の考え、やりたいことを表に出すことが怖い、「いつか誰かが引き出してくれる、自分の心地よい居場所がどこかにある。」そんな風に考えていました。

 そんな中、三年前の高校二年生の時に水難事故で友人を亡くしました。現場にいた私は、学校、家庭でも人間関係がうまくいかない、祖父母の家に引きこもり家から出ることが出来なくなるなど、とても苦しい時期がありました。「死」に直面した自分は「死」しか考えることが出来ませんでした。

 そんな中、高校の倫理の授業でたまたま出てきた、ハイデガーの死の先駆、「死を自覚することで、より良い人生を送ることが出来る。」という言葉に心を動かされました。「死」を自覚した自分は、より良い「生」を考えることが出来る、自分で良い人生を創り上げることが出来ると感じました。

 もちろんたくさんの人に支えられ、周囲の方には感謝の気持ちでいっぱいですが、最終的には自分の思考が自分を救ったと思っています。

 現在は、「死の自覚」と「思考」で、自分が限られた人生で本当にやりたいことを見つけ、それを実現するためのパワーがみなぎっています。以前のような他力本願の自分とは違って、自ら楽しい人生をつくることが出来ていると感じています。

 また、友人が病院で生死をさまよっていた最中私が考えていたことは、「周囲の人は私たちをどう思うだろう」でした。何が言いたいかというと、友人が死ぬなんてこの状況でも考えることが出来ませんでした。

 この経験から、人間の死の無自覚さと、「死」を自覚し考えることによって、より良い「生」について考えることが出来るということを小学生に向けて教育していきたいと思うようになりました。

最後に

 ここまでお読みいただきありがとうございます。

このデス・エデュケーション実現のために「こども哲学カフェ」の活動を行なっています!

どうぞよろしくお願い致します!




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