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好きな天気は雨。内発的動機に溢れる社会をデザインしようとする大学生。大学では公共哲学を…

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好きな天気は雨。内発的動機に溢れる社会をデザインしようとする大学生。大学では公共哲学を学び、最近は組織開発にも興味を持ち始めました。noteは考えたことのメモ用紙みたいな場所。

マガジン

  • K/not for me

    大学生な僕の、ことばを自分のために集めたマガジン。

最近の記事

少なくとも、コーチであろうと決意した。

暗闇の、対話の森を、白杖を持ち、みんなと声を掛け合い手をつないで駆け抜けた、そのあとで。 目が見えないこと、あるいは不確実性や不透明度の高い時代を生きることは、必ずしも前に進めないこと、あるいは価値を発揮できないことを意味しない。 コーチになろう、とは思わない。コーチになることと、コーチであることは別だ。 僕は高校生の頃に自らのマネジメントに課題意識を持ち、大学1年生からコーチングを学んできた。そして、今では若手社会人や学生さんを中心に、彼らの人生の選択肢をともに考えるお

    • 生存報告と、そしてぼくがあした生きていくために。

      ごきげんよう。 なんて一度も口では発したことがなかったけど。これからはごきげんよう、って言ってみたいと思いました。自分で書いていて。 先日、カメラを修理に出して、そしてそれが返ってきました。はるばる大分県まで運ばれて、一週間滞在して、きれいになって帰ってきてくれました。よかった。またこれで、いろいろと写真を撮れると安心しています。 最近の僕は、社会に興味があります。 社会には、高校時代から興味があったじゃないか、と言われるかもしれませんが、個人的には”社会なんてどうで

      • 実は、世界は相補性でできている

        相補性というコンセプトを、最近気に入っている。 相補性とは、二つの相対するコンセプトが同時に存在することで、観察対象をより解釈しやすくする、みたいなものだ。 空が青いからオレンジのビルを美しく感じることができるし、 ビルがオレンジだから、空の青さが際立つ、みたいな。 もともとは量子力学の言葉らしく、文字は理解しても、単語としては理解が難しい。 科学らしいところからいえば光は粒子なのか?波なのか?という議論が一番身近だという。けれど、実は僕たちはこの相補性というコンセプ

        • 大熊町で見た景色

          2020年の冬、大熊町を訪れた際に見てきた景色です。 ※写真は色調補正やトリミングなどで加工しています。 新設された大熊町役場とその周りでは、日々新しい取り組みがこのコロナ禍でも行われていました。 役場から見た福島第一原子力発電所 制限が解除された大野駅 柵に閉じられた街

        少なくとも、コーチであろうと決意した。

        マガジン

        • K/not for me
          4本

        記事

          『新産業創造』による課題解決モデル

          「Z世代」とくくられることの多い2001年生まれの私にとって、ほかの多くの同級生や身近な先輩後輩と同じように、”社会課題解決”という思考の枠組みは物心ついた時から自然と身についていた。 それは特別Z世代が生得的な特徴を持っているというわけではなく、単に経験的に環境問題や社会福祉・教育、資本主義社会の在り方といった”社会全体が抱える大きな課題”とその影響を肌で感じたことが影響している。それだけでなく、状況を変化させるには数十年、数百年と社会システムの変革という大きなコストを支

          『新産業創造』による課題解決モデル

          Twitterのタイムラインを耕す

          さっきのミーティング中、プロジェクトを共に進行するパートナーが「君はどこから面白い記事をポンポン見つけてくるのか?」 と尋ねてきた。 確かに僕のTwitterのタイムラインには、見ていて不快になるようなツイートはほとんど流れてこないし、Twitterを見ていて「時間の無駄だな」と感じる時間も少ない。 逆に「後で読む」というRTで僕のタイムラインはnoteの積読状態になっているぐらい、良質で勉強になる情報にあふれている。 僕は、自分の探求したいテーマのアカデミックな情報か

          Twitterのタイムラインを耕す

          僕は、映画から逃げられない。

          久しぶりに映画館で映画をみた。 LGBT +を題材に扱った映画、“ミッドナイトスワン“の、15分にわたる予告編を見たのが昨日。 その予告編のコメント欄が「この映画は素晴らしい」とか「3回見に行きました」といったコメントで溢れていて、これは、と思って翌日のチケットを取った。 共感性羞恥の強い僕にとって、その映画を映画館で見ることは、ちょっとした挑戦だった。 なぜなら、予告編で登場した、女の子が羨ましそうにバレエ教室の中を覗くシーンとかが、自分にとって「怒鳴られやしないか

          僕は、映画から逃げられない。