大熊町で見た景色
2020年の冬、大熊町を訪れた際に見てきた景色です。
※写真は色調補正やトリミングなどで加工しています。
新設された大熊町役場とその周りでは、日々新しい取り組みがこのコロナ禍でも行われていました。
役場から見た福島第一原子力発電所
制限が解除された大野駅
柵に閉じられた街
役場の周辺は、多くの企業や団体が参画しまちづくりをハード・ソフト面の両方から行っています。
あの頃から10年が経ちました。
当時小学4年生、東京に住み、東京の学校に通っていた自分でも、あのテレビの端の日本列島が延々と赤と黄色に点滅し続けた日々を思い出すと、心が宙ぶらりんになったような感覚を覚えます。
今回、大熊町を訪ねた私は、圧倒的な現実に直面しました。
報道で何度も見たはずの景色を目の前にして、私は少しのデジャヴを感じるとともに、しかし自分は何もわかっていなかった、知ったふりをしていたんだということを気づかされました。
一方でそれと同時に、今回の訪問と記事でお伝えしたかったことは、そういった現実から立ち上がり、ふたたびまちづくりを進めていこうという確かな努力と挑戦が大熊町には存在しているということ。
役場の人々、地域の人々、そして大熊町で新しい事業を興して産業を作ろうと奮闘される人々。
大熊町にかかわるすべての人が、より良い街と、昨日よりも今日、今日よりも良い明日を目指して挑戦を続けています。そして何より、ともに挑戦しようとする仲間同士でつながり、取り組みを共有し、一緒に街を作っていくんだという温かいコミュニティができていること。そのコミュニティに、”自分もこの地で挑戦していきたい”とさらに全国から人々が集まってきているということ。
私が直面した現実とは、柵に閉じられた街というこれまでの姿だけではなく、確かに未来を作っている人々が大熊町には集まっているということでした。
学生記者として私たちが大熊町を訪れる理由は、この大熊町のまちづくりの様子を見て、明らかに人々がコミュニティを形成し、大熊町を舞台にして新しい挑戦を始めていく。その姿をこの災害とともにある日本に経験と記憶として残していくことを求められているからだと私は感じています。
震災を乗り越えるとは、
街を元通りにするということではなく、
その経験と記憶から学び、社会をもう少し上手に形成していけるように学習し、行動するということ。
宙ぶらりんになった心をそのままにせず、現地を訪れ、現実を知り、
自分がどう感じたか、自分に今何ができるのかを考えて、
できることがなければ経験を積み、学習し、行動していく。
そうしてまた少しずつ社会を良くしていく営みを続けていくことこそ、私たちがなすべきことなのだと思います。
訪問した冬の大熊町は雪がちらつくとても寒い場所だったけれど、
それとは対照的に、そこでの挑戦の営みは、ずっとずっと、暖かかった。
また一つ、好きな街が増えました。
>>学生記者として取材させていただいた記事はこちら
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