
ハラを手懐けられるのはハート
マインドの鍵はハートが持っていて、ハートの鍵はハラが持っている。
マインド=思考(わかる)
ハート=感情(かんじる)
ハラ=本能(生存する)
ハラの葛藤はマインドでは解決できない。ハラが要求してくることをマインドでは到底理解することはできないし、それは受け入れ難いことだから。
せいぜいマインドがハラにできることは「 押さえつける/抑圧する 」ことぐらいで、それは根本的な解決にはならず、むしろこじらせることのほうが多い。けれど、マインドにはそれしかできない(そうするしかなかった)という体験。
マインドは「蓋の役割」をしている。
なにかをハートで感じることがないよう、再体験せずに済むように、頑張って思考で押さえつけている、抑え込もうとしている。そうやって「せき止めよう」としているのだけど、溢れてしまうこともある。そういうときに、感情的になったり、キレるであったり、心拍数がバクバクしたり肉体レベルの反応までに及んだりする。
それは、マインドの蓋というのは、根本解決ではなく「一時しのぎ」でしかない、永遠にせき止めることは不可能であるということも示している。いずれは、どんな形にしろ、出てきてしまう。うんちやおしっことおなじ。永遠には我慢できない。
なので、どう出すか?どこで出すか?
「愛する」とか「許す」とか「受け入れる」ってハートにしかできなくて、マインドにはそれを「理解・解釈・語る」ことしかできない。なのだけど、無知なマインドはそれが「できる!」と思い込んでいる。この「無知」というのはマインドの限界に気づいていない未熟さであり、認めることができない頑なさであり、そうやって必死になって守ろうと頑張っているのだけど、
そのマインドの限界を超えるにはハート。
ハラの衝動を落ち着かせるのもハート。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?