中学受験で「コスパ」を連呼する親に欠ける視点?
しばらく投稿を休んでおり申し訳ありません。以前noteでつぶやいた通り、仕事で簿記が必要になったため執筆活動を休止していました。
まだその状況は変わっていないのですが、たまたま仕事の休憩中にすごくモヤる記事を見つけたので、今回はそれについて投稿します。
その記事とはこちらです。
できれば文脈を理解するために記事全体をご覧いただきたいのですが、お忙しい方向けに、私がモヤった箇所を以下に抜き出します。
大前提
まず押さえておきたいのは、この記事の執筆者が中学受験指導スタジオキャンパス代表の方ということです。
学習塾の方が書く記事ですから、当然、中学受験に対して肯定的な印象を持たせようとする意図がはたらいてもおかしくありません。その辺りの事情を前提としつつ、以下に思ったことを書いていきます。
保護者の「価値基準」はそこじゃない
私がすごくモヤったのは、この記事で想定している保護者の「価値基準」を測り違えているところです。
筆者は、「安全校」(=自身の実力よりも偏差値の低い中学校)への進学はコスパが悪いのでは?という見方に対し、
「難関校」に進んだところで「一流大学」に進める保証はない
「安全校」だろうと人間関係や充実した学校環境にプライスレスな価値がある
と主張しています。
率直に言うと、意味不明です。
まず、「安全校」への進学はコスパが悪いと考える保護者(この記事で想定されている保護者)は、子供には「一流大学」に行ってほしいと考えています。彼らが中受をする目的は、「一流大学」へ進学できる可能性を高めることなのです。
ということは、いざ合否が出そろい、最終的な進学先を決める場面でも、決め手になるのは「一流大学」に行ける可能性が高いかどうかでしょう。
高校の進学実績を見れば、当然ながら「安全校」のそれは保護者の望むレベルには達していないでしょうから、わざわざ高い学費を払ってまでそこへ行く意味は薄いと考えるのが自然です。
「一流大学へ進学できるかどうか」を価値基準としている保護者に、「安全校にだって素晴らしい人間関係や学校環境があるんだ!」と主張しても意味がありません。その保護者はそこを重視してはいないのですから。
また「『一流大学』に進める保証はどこにもない」ということですが、そんなことは誰だってわかっています。
「難関校」に求めているのは「保証」ではなく「可能性」です。
その学校に行けば、教えるのが上手い先生がいるかもしれない、友達から良い刺激をもらえるかもしれない…
きっとそこには、高い進学実績を裏付けるような「何か」があるに違いないと期待が持てるから、「難関校」を目指そうとするわけです。
そしてもう一つモヤったのは、私立に行くという話をしているのに「プライスレス」という言葉を使っているところです。
「プライスレス」とは、「金銭では買えないとされるもの」のことです。
ここでもう一度、「プライスレス」という言葉が使われた部分を抜き出してみます。
「だから『安全校』しか受からなかったとしても進むべきだ」ということなのですが、この主張は破綻しています。
「私立に行く」ということは、高い学費を支払って特別な学校生活を買うことです。
つまり、私立にしかない付加価値にお金を出すのです。
「部活動や趣味などに全力で取り組める6年間」も、「そこで出会える生涯の友」も、「支えとなる恩師の存在」も、すべては学費を支払って手に入れた付加価値ですから、感情的にはどれもかけがえのないものかもしれませんが、決して「プライスレス」ではありません。
むしろ本来はその対価をきちんと受けられたかをシビアに評価すべきものですから、「コスパが悪い」というのは正しいものの見方だと私は思います。
批判的に見るクセが大事!
私は仕事柄、教育関係のニュースにはいろいろと触れていますが、特に受験業界は、誇張や美辞麗句の多い世界だなというイメージをもっています。
一見それっぽく見えるので、ぼーっと読んでいると「なるほどな」と思ってしまうのですが、ちょっと冷静になってみるとおかしな点に気付くことがよくあります。
ですので私はなるべく受験関係のニュースを読む時は「本当にそうかな?」という批判的な目で見るようにしています。そうしていると、無駄に一喜一憂したり、おかしなロジックに踊らされたりすることが少なくなる実感があります。
皆さんもよかったら癖づけてみてください。
今後も「これは…」というものがあれば、noteで紹介していきたいと思います。ここまでご覧いただき、ありがとうございました。