気づかぬ内に、人を傷つけているのかもしれない。
こんにちは。
天音です。
この前の大学の授業中、同級生の顔見知りたち(結構仲良しグループ)とのグループワークで、こんなことを言われました。
「言葉が荒いぞ」
このグループは一つのプロジェクトを一緒に進めるもので、私たちのグループは会社の雰囲気をイメージして、上記の発言はその社長役のものです。
そしていつも特に仲良くしてくれている友人が
「この子はこういう子なんです」
と、すかさず援助(?)
この流れの中で、ハッとしました。
"みんな言わないだけだけど、知らず知らずのうちに私の言葉でかなりの人を傷つけてしまっていたのかもしれない"
今回はみんな活発に発言するタイプでかつ各々のキャラ、属性みたいなのもある程度把握している上での会話なので「言葉が荒い」と直接指摘してくれましたが、そういう風に指摘してもらえることは日常の場面では稀。
ふと授業中にその事実に気づき、そこからは中々発言できなくなりました。
自分の中では素直に思った疑問をストレートに表現したもの。
(「言葉が荒い」と指摘してくれた子の意見の、大きな柱となる案に対して、それがその"もの"である必要性がどこにあるのかわからない、と発言しました)
そのストレートさ、残酷な素直さのおかげで傷ついてしまう人もいる。
私は言葉で誤解されることがとにかく多い人生だったので、日々言い過ぎないよう、誤解を極力避けるために、
・倫理的な発言かどうか
・誰がどう考えても不快に感じてしまうであろう表現は極力避け、頑張って脳内で言い換える
・その発言は相手のプライバシーを侵害しないか
・ひとの悪口は言わない
・否定から入る表現はしない
・感情的な言い方はしない
など、ある程度のマイルールを設けて発言をするようにはしているのですが、やはりどうやら元々の思考がかなり過激らしく、
自分の中では"ここまでは言っても問題ないだろう"というレベルで、言葉の表現に繊細な方に対しては大ダメージを与えている、という事がしばしば。
私が感じている最大の問題点は、「本人には人を傷つける表現になっている自覚がない」ということ。
先ほどの友人の「こういう子だから」があればまだ救われるのですが、そこまで仲のいい子が常にそばにいるということはありえない訳で。
言葉にトゲがある
とよく言われますが、そのトゲが私には見えない。
ただでさえ、今まで様々な場面で大失言を繰り返してきた経験から、親族や仲のいい人には私の発言の意図がわかるけど、知らない人には伝わらない"なにか"がある事は重々承知しています。
その上での久しぶりに受けた直接的な指摘なので、その場ではみんな笑顔で軽く流されましたが、自分的にはかなりの衝撃を受けました。
それと同時に、割と物事の本質をついている、と言われることも多いので、多分、理論的に考えるタイプには伝わるけど、情緒がコミュニケーションの中心であるタイプには"人間味がない"と思われている可能性が高いのだと思います。
私の性格についてはこちら。
対処法をいくら練り重ねても、自分の持っている毒がどこにあるのか分からなければ、いつ相手を傷つけてしまうかはわからない。
何度も同じようなことを書いている気がしますが、つまりはそういうことです。
いくら気をつけても気をつけ足りない。
コミュニケーションはやはり難しいです。
ではまた。