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「〇〇を愉しむ人」と「〇〇で愉しむ人」との間には隔たりがあり得る→下手に混ぜるとキケンって話

「〇〇を愉しむ人」「〇〇で(△△を)愉しむ人」

一見、共通の接点やテーマでつながっていてうまく交われそうで、実は大きな溝や隔たりがある(ことがある)。
僕たちがさまざまな組織開発活動や地域開発活動などをしていて、最近しみじみそう感じるようになりました。

具体的なテーマの話をすると、無駄なハレーションを招きかねないため、仮に〇〇の部分がキャベツだったとしてここから先の話を進めます。

仮に僕がキャベツが大好き、すなわちキャベツを愉しむ人だったとします。
(あ、実際に僕はキャベツ好きですよ。ちなみに)

キャベツが好きすぎて、ある日こんな思いが芽生えました。

「キャベツを活用して、なにか新しいことができないか?」

この時点で僕はキャベツを愉しむ人に加え、キャベツで愉しむ人の顔を持ちます。

そうして僕は、「キャベツ畑対話会」なるイベントを企画します。

収穫が終わった後の畑で、大好きなキャベツの気配を感じながら対話をする。対話会の後には、もちろん採れたての美味しいキャベツをいただく。最高かよ! もちろん、普段キャベツに興味がない人にも、この対話会をきっかけにキャベツのことを知って好きになってほしい。そう考えた。

「きっと、僕のようなキャベツ好きの人が喜んで集まってくれるはずだ」

そう思うも、いざ対話会の告知をしてみても、キャベツ好き界隈の人たちの反応はいま一つ。

―あれれ、皆、キャベツ好きなんじゃないの? 大好きなキャベツ畑での対話会だよ。なぜ誰も反応示さないんだろう。

やがて、思わぬ人が参加したいと言ってきました。

心理学の研究者です。
彼女は文字通り人の心理や行動を研究していて、なんでもキャベツの持つ成分が人間の心に及ぼすポジティブな影響を調査したいのだとか。彼女は「キャベツを愉しむ人」ではなく、「キャベツで愉しむ人」

―ほほう。これは面白そうだ!キャベツの新しい可能性や愉しみ方を見出せそうだな。

僕は彼女の参加を快諾します。

また別の人が手を挙げてくれました。彼は、キャベツ畑の水はけの改善方法について興味がある。新たなソリューションを開発できないか、キャベツ畑で対話しながら考えてみたい。

こうして徐々に「キャベツで愉しむ人」が増えてきました。

ところが次の瞬間、僕はキャベツ愛好者から思わぬメッセージを受け取ります。

「キャベツ好きとして、邪道だ」

聞けば、その人(キャベツ愛好者)はただ純粋にキャベツを食べる行為を愉しみたい。よって、キャベツやキャベツ料理を愉しむイベントなら喜んで参加するが、キャベツやキャベツ畑を利用してほかの行為をおこなうことには何ら関心がないむしろ不快である。
すなわち、「キャベツで愉しむ人」を良しとしない。面白くない。
世の中には、少なからずそういう人が一定数いる
のです。

ここで僕は気づきます。

「キャベツを愉しむ人」と「キャベツで(他の行為や活用方法を)愉しむ人」との間には、大きな隔たりがあり得る。ひょっとしたら、「混ぜるな危険」なのかもしれない

……と。

キャベツ畑やキャベツの新たな活用方法を真剣に話し合いたい人(「キャベツで愉しむ人」)からしても、キャベツを食べることにしか関心がない人たちと無理やり対話させられても、不快に思うかもしれません。時間の無駄だと思うかもしれません。

だったら「キャベツを愉しむ人」と「キャベツで愉しむ人」は無理に混ぜない方がいい
そもそも前者はキャベツが目的で、後者はキャベツは手段。その時点で噛み合っていないのです。だからと言って、無理に合わせさせようとする必要もないでしょう。

この手の不協和音は、様々なテーマや領域で起こり得ます

しかし、そんなことを言うとお叱りを受けるかもしれません。

「「混ぜるな危険」だって⁉ それは多様性尊重(ダイバーシティ&インクルージョン)の精神に反するのではないか!」

このように。

私はそうは思いません。ダイバーシティ&インクルージョンとは、価値観や考え方の合わない人を無理に混ぜ合わせる行為ではない。それは単なる同調圧力でしょう。

そうではなく、お互いの価値観や考え方の違いを理解及び尊重した上で、無理に混ぜようとしない、あるいは混ぜ合わせる時期を考える。

それこそお互い邪魔せず、それぞれ別々の道を行くのもまたダイバーシティ&インクルージョンなのです。

キャベツ愛好者の例で言えば、

・キャベツそのものを愉しむ価値観があっていい
・キャベツで何か別のことを愉しんだり、新たな活用方法を愉しむ価値観もあっていい

どちらもあっていいのです。一方が他方を邪道と批判するのもおかしな話です。加えて、無理に混ぜようとしてもどちらか一方または双方が傷ついて不快な思いをするだけ。だったら、別の流派としてそれぞれがそれぞれの道で愉しむのもまた幸せな生き方であり、ダイバーシティ&インクルージョンです。

僕は最近、ダイバーシティ&インクルージョンをテーマにした企業講演などでこんなスライドを出しています(講演依頼、歓迎です)。

今日注目して欲しいのが7つ目。

ダイバーシティ7つの着眼点(あまねキャリア講演スライドより抜粋)

目的・用途のダイバーシティ。

そのテーマや場や組織や地域を、どんな目的や用途で活用するかあるいは愉しむか。
多様な目的や用途を受け入れれば(寛容になれば)、さまざまな価値、さまざまな能力、さまざまなファンが生まれ、そこからイノベーションが生まれ得ます。

「この用途でなければダメ」
「他の愉しみ方をするなんて邪道だ、けしからん」

その気持ちももちろんわかりますが、もう少し違う愉しみ方や関わり方にも寛容になってみませんか(日本社会に大きく足りていないのは、自由度や寛容度なんですって)。そこから解決する課題や、拓ける景色はたくさんあります。

無理に従来の目的や用途に合わせる必要も、合わせさせる必要もありません。無理して混ぜる必要もない。さまざまなカラーがあっていい。
Be colorful🌈