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「欲張り。」

※捉え方によっては、ネタバレと感じる記述があるかもしれません。許容出来る方のみ、お読み頂ければ幸いです。(映画鑑賞後の方が楽しく読んで頂けると思います。)

苦しい恋愛というものに、何故こんなにも魅せられるのだろうか。この上なく共感出来るわけでもなく、出来過ぎなときめきファンタジーでも無い。気持ちが焼き切れ、抉られ、痛みを伴う。決して憧れはしない、あんな恋愛はしたくない、けれど至極美しいと感じる。そんな映画『窮鼠はチーズの夢を見る』の私が感じた魅力を
①映像の瑞々しさ
②深読みせずにはいられない登場人物達
③終わり探し
の三つの観点から説明していきたい。ただしあくまでも個人の感想であって、鑑賞した方が皆私と同じように感じるわけではない、という当たり前のことをここで断っておきたい。

①映像の瑞々しさ
この映画の一つ目の魅力は「映像の瑞々しさ」である。一つ目から曖昧かつ内容に触れないのは如何なものかと自分でも思うが、これがこの映画の最大の魅力だと私は思う。主演のお二方をはじめとした出演者の方のお顔やお体が大変に美しいということは言うまでもない。それに加えて、長い前髪から覗く水分量の多い切なげな瞳、眉を釣り上げながら感情をぶつけ合う声、別れの間際で流す涙、強く吹く潮風。蛍光灯の下でも、間接照明でも、自然光の中でも、光がなくても、雨の中でも、太陽の下でも、今作の中で美しくないシーンは一つもなかったと私は思う。
映像の瑞々しさには、劇中の音があまりないということも関係していると思う。所謂、劇中歌というものは殆ど無かった。そのため、映像、台詞、台詞と台詞の間の沈黙、吐息、それらのものに強く意識を向けることが出来た。映像の中で自然と生まれるその音は、余計のない澄んだ映像の手助けをしていたように感じた。
以上のように今作の一つ目の魅力は「映像の瑞々しさ」である。

②深読みせずにはいられない登場人物達
二つ目の魅力は、「深読みせずにはいられない登場人物達」である。私は原作を読んでいないので、本来は原作で明かされている部分を誤って解釈している可能性もある。けれど、彼らの言動と場面の描写は何かを推し量りたくなってしまうほどに何かを語っているように思えてしまうのだ。四人の目線で語られる思惑の絡み合い、「欲張り」という台詞一つに込められた思い、失うのが怖くて信じ切れない悲しげな瞳、朝焼けの海。多くが語られないからこそ、推し量って勝手に心が抉られてゆく。
ここで私の深読みを書いてしまうと誰かの感覚や感情を操作してしまいそうで怖いので(そんな影響力はきっとないが、念のため)詳しく書くのはやめておきたい。以上のように今作の二つ目の魅力は「深読みせずにはいられない登場人物達」である。

③終わり探し
最後の魅力は「終わり探し」である。映画であるので、勿論物理的な終わりはある。しかし本作では、
①暗転が多用されている、
②二人がいつ終わってもおかしくない危うい関係である
という二点から暗転の度にこれで二人の物語は終わってしまうのではないかと感じさせられた。苦しくても離れられない二人、私は暗転の度に恋の終わりをみた。
実際の終わり方も明確に描かれてはおらず、これも「終わり探し」と捉えることが出来る。実際に映画館でも「これで終わるんだ〜、、、って感じだったね、、、。」と友人に話しかけている女性がいた。この終わり方に賛否両論あるのかもしれないが、想像は出来る、正解は要らない、二人はそんな関係なのだろうと私は思う。
以上のように今作の最後の魅力は「終わり探し」である。

以上
①映像の瑞々しさ
②深読みせずにはいられない登場人物達
③終わり探し
の三つが私が感じた『窮鼠はチーズの夢を見る』の魅力である。鑑賞中に自分の中で生まれる感情、登場人物から流れ込んでくる感情、それらのドロドロしたものを上手く整理し切れた気はしない。しかし、言語化したこれらを読んで「映画見てみよう」「自分もそう感じた」「自分はこう思った」そんな風に誰かの中に何かを生み出せたならそれで二重丸だと思う。

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