amane

文章が好きです。美しい文章は大好きです。人が好きです。温かい人は大好きです。自然が好きです。美しくなくても自然は好きです。将来は自然がいっぱいの中で暮らしたいです。

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最近の記事

「欲張り。」

※捉え方によっては、ネタバレと感じる記述があるかもしれません。許容出来る方のみ、お読み頂ければ幸いです。(映画鑑賞後の方が楽しく読んで頂けると思います。) 苦しい恋愛というものに、何故こんなにも魅せられるのだろうか。この上なく共感出来るわけでもなく、出来過ぎなときめきファンタジーでも無い。気持ちが焼き切れ、抉られ、痛みを伴う。決して憧れはしない、あんな恋愛はしたくない、けれど至極美しいと感じる。そんな映画『窮鼠はチーズの夢を見る』の私が感じた魅力を ①映像の瑞々しさ ②深読

    • 人の柔らかい部分を踏みつける

      私たちは感情の全てを共有することはできない。感じること、感じる程度、感じる頻度やきっかけはその人だけに与えられた宝物だ。そんなことは既に先人たちが物語や歌に乗せてくれたおかげで、周知されている。だからこそ、誰かの感じたことを無かったことにしてしまうことはあまりに勿体の無いことだ。 一週間前、一人で映画を観に行った。思いつきで映画館に行き、なんとなく選んだ映画だったが、ぼろぼろ泣いた。わんわん泣いた。一つ席を開けた隣の男性からも鼻を啜る音が聞こえた。劇場の至る所から鼻を啜る音

      • 彼が手を差し伸べれば

        私はこの世界とのつながりが弱い。だから生きていることに執着なんてないし、懸命に生きることを良しとし、自ら死んでしまうことを悪しとするこの世界の風潮が、私にはひどく歪なものに見える。 「いざとなったら死ねばいい。」 その程度の考えで生きているからだろうか。私は生きている中であまり苦痛を感じない。自分の感覚がガラス一枚隔てた、水槽に垂らした色彩の躍動のように見える。心がもはや死んでいる、とかいう説もあるが。逃げ道があるというのは心の拠り所になるものだ。 学生時代の部活は嫌に