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SNS(Twitter)(X)断ち日記 1日目〜7日目

1日目

朝からひどい孤独感に苛まれる。
人にこの孤独感を説明しようと思ったがどうにも説明が難しい。
「孤独感という感情の津波がやってきて、元ある感情を全て攫っていく感じ」と説明した。
いい秋の日和。早速「やっと秋がきたなぁ」などと共有したくなり、依存の重さを改めて感じるなどする。
軽い離人症の症状。いつもとは違う駅を降り立ったのでそのせいもあるかもしれない。
お酒ほろ酔いのふわふわ感に近い、この感覚が無料で味わえるのお得(ポジティブにも程がある)

2日目

孤独感?焦燥感?
形容し難い負の感情が常に付きまとう。
欠けたものを探している焦りと言われて腑に落ちる。カウンセリング…?
携帯を開くと半ば無意識にTwitter(X)のアイコンを探してしまう。

3日目

相変わらず朝からのひどい孤独感、焦燥感。
大事な人が近くにいようがいまいが関係なく襲ってくる。大事な人が近くにいればなんとかなるが、いなくなったときにそれは牙を剥いてくる。思考が侵食される。キツい。ツラい。
出どころがわからない不安、焦燥、孤独感の前になすすべもない。
ツラい旨の連絡をする。もちろん返事が即座には来ない。
すぐのリアクションを求めているときにSNSはうってつけだ。初めて「戻りたい」という感情が芽生える。

際限なく訪れる負の感情。
並大抵の人間であればこの辺りで根を上げるに違いない。私の場合はこれ以上の地獄を知っているのでセーフ。(セーフとは)
ただ、気が狂いそうになる、もう消えてしまいたいと思うぐらいにはツラい。

ずっとSNSという痛み止めを打ちながら生きてきたんだなと知る。今すぐにでもこの痛みを和らげたい。そうするとそのうちにもっと強い痛み止めが欲しくなり、際限が効かなくなり、取り返しがつかなくなる。

ここが耐えどきなのだろう、ただ、ここを耐えた先に回復する未来があるのだろうか。ただただ耐え続ける日々があるだけではないのか。それであれば痛み止めでもなんでも打ち続けながら生きていく方が有益なのではないだろうか。
答えのない考え、言い訳とも取れる考えが頭の中を逡巡する。

これが楽になるなら酒でも薬でもドラッグでも槍でも鉄砲でも持ってきやがれといった様相である。取り返しがつかなかろうがなんだろうが関係なく頭の優先順位の一番を「この苦痛を取り去ること」が占拠する。憎々しいことこの上ない。

4日目

ツラさは残っているが、少し波が引いて楽になった。昨日は天気も悪かったのでその影響もあるかもしれない。
「Twitterやりたい…つらい…」が「うおお〜〜Twitterやりてぇ〜〜!!」になった。

5日目

安定してきた。
しかし、Twitterを辞め仲のいい方から寂しい旨や状況を確認する連絡などが来るなどし、それでメンタルを保っている気がする。
自分を心配している声掛けは、自己肯定感や寂しさに普段のやり取りとは違う格別の効果・効能がある。
こうしてかまってちゃん系メンヘラは作られ、つくづく自分はそこに属する人種なのだなぁと、目を背けていた事実を直視するなどした。
それも無くなったときどうなるのか、今はそれが一番心配である。

6日目

ツラい。心に穴が空いたようだ。
こんなことをしてなんになるのか。戻れば楽になるんじゃないだろうか。そんなことばかりを考える。やっと訪れたはずの夜が長い。ツラい。生きていてなんになるんだろうかという気分にすらなってくる。

7日目

文字を書く気力すら失せるツラさ。
こうしてこの感情は私から全てを奪っていったことを思い出した。


そもそもこうしてTwitterの代わりに日記をつけ、あまつさえそれをnoteに投稿する行為はSNSを断てているといえるだろうか。いや、いえない。(反語)(強い否定)

この日記を付けずとも日々を乗り切れるようになったときが、真に克服できたときなのだろう。

HSPさんたちが双方向のコミュニケーションができる場所づくりの資金と、記事を書きながら飲むコーヒー代になります。