ネガティヴ感情を悪者にしてきた
ポジティブがいいと思い込んで生きてきた
ネガティブな感情はこれまでとことん排除して、もしくは、見ないようにして生きてた
自分を聖人君主だと思い込んでて、汚いところなんて一つもないし、綺麗で潔白で誠実な人間だと思って生きてきた
半分は本当で
でも半分は嘘だ
光と闇、両者は何者にも必ず存在する
コインに裏表があるように
ひると夜があるように
だから、自分が光の存在であることは本当
その逆に、闇の存在もあることも事実
それを、見ようとするか、しないか
ただそれだけのこと
臭いものには蓋をしたいものだ
でも、放置しておけばもっと臭くなるだけだ
わたしは、特に、怒りを感じることを禁じて生きてきた
いつもニコニコ、穏やかで、誰に対しても優しい
そんな印象操作をしていたおかげか、本当に周りからは「誠実」「優しい」「愛が深い人」などと言ってもらえたものだ
これも、半分は本当の自分であり
半分は嘘である。
40歳まで、だいぶ、じぶんを我慢させてしまった
怒りたいのに、怒ってないふり
悲しいのに、平気なふり
辛いのに、余裕なふり
疲れてるのに、元気なふり
嫌いって思ってるのに、嫌われないような振る舞い
行きたくない予定なのに、断って嫌われるのが嫌で行く
「こうあるべき」「こうしなければ」の概念に相当縛られて生きてきた
わたしの中では
ネガティヴ=悪
それ以外の何者でもなかった
悪は檻に閉じ込めておけばおくほど、狂暴になる
なんで俺を無視するんだ!
なんで俺を嫌うんだ!
俺だって感情の一つで、生きてるんだ!!
ってね
自分しか、それを見てあげられる人はいないのだ
声にならない悲鳴は、体にあらわれ、私の場合は病気になった
今でこそ、檻に閉じ込めてきてしまった感情たちに、
声を大にして言いたい
「ごめんね。本当にごめんね。今まで無視してきて、ごめんね。」
自分の一部を無視することは
一番自分を傷つける
「無視」とは、「愛」の反対
どんな感情も、平等であり、芸術
苦しみの末に生み出される芸術作品は数知れず
関心を持つだけでいい
扱い方なんてわからなくていい
処理しようとしなくていい
ネガティヴな感情がやってきたら
見てあげる
聞いてあげるんだ
最近、夫に対して、死ねばいいって思った
ひどいことを思ってしまったと思った
その時、2人のわたしがいた
一人は、
そんなこと思うなんてひどい!色々頑張ってくれているのに!
といい、
もう一人は、
思ったならそれは本音だよ。この世に思っちゃいけないことなんて何一つないよ。思ったなら、思えばいい。それに、その気持ちすっごくわかるよ〜。存分に思いなよ!スッキリするまで思ったらいい!
という。
これまでのわたしなら、前者の言うことしか採用しない
けど、もうやめた
本音だもん
思ったからって、べつに殺そうとか思ってない
ただ、そう思うくらい、それくらい、ムカついたり、悲しくなったりしたのだ
本音って、本当の音だから
思うことすら、許可してなかったなんて、
本当に自分にひどいことをしていたと思う
自分の中で響く、本当の音に、今日も耳を傾けてあげるんだ