生き地獄を生きている。今はまだ

私がここに具体的な出来事をあまり書かない理由は、トラウマに関わる登場人物が全員(多分)まだ生きているからなのだけれど、「物語を語る」ことが回復に繋がるのならぼかした書き方はあまり効果はないのかもしれない。

でもオープンな場で「本当のこと」を詳細に語れるほど安心して生きていない。だから共有できるのは、少しの事実と感情だけなのだと思う。

死ぬまでこれ言われ続けるのかな、と思っていたことをまた言われた。そして、死ぬまで恨まれて責め合うくらいなら今すぐ死んだほうがマシだ、という気持ちになった。自殺企図がはじまる。この生き地獄から抜け出すためには死ぬしかない、という思考。
(そんなわけないとは分かっている)

長年、事あるごとに「お前のせいで」と言われてきた。家族から。今思い通りの反応をしないと、過去を責められる。お前はおかしい、間違っていると。お前の苦しみなんて大したことではないと。なら関わらなければいいのにわざわざ踏みに来る。踏みつけずにはいられないほど憎しみが渦巻いているのだろう。

怒りは二次感情、その裏に隠れた一次感情があると言う。きっと、寄り添ってほしい、分かってほしい、悲しみ、苦しみ、寂しさ、そういう気持ちから怒りをぶつけている。そうせざるを得ないのだとしても、こちらも他人のケアが出来る状態にない。

言われるたびに動悸がして手が震えてくる。セルフケアが追いつかない。今すぐ消えたい気持ちが迫ってくる。私が傷ついた姿を見せれば満足なのか。全員殺して私も死のうか。いやただ私だけ死ねばいい。私の世界が終わればこんな地獄はすぐに終わる。そんな考えばかり反芻する。

圧倒されると、誰かに縋りたくなる。外の世界に連れ出してほしくなる。でも縋れない。縋るわけにはいかない。自分で立って歩こうとしない限り、他者と共に歩くことはできない。私はこの先、まわりにいてくれる人たちと仲良く暮らしていきたい。壊したくない。だから誰かに話ができるのも嵐が通り過ぎた後だけだ。

いつでも冷静な自分がいる。私は私のレジリエンスを信じている。今起きていることを、事実、感情、身体感覚に分ける。震える手でメモしていく。次のカウンセリングでこのことを話さなければ、と考える。涙をこらえる。喉が詰まる。溢れる感情を抑えることだけにエネルギーを注ぐ。胸が痛く、苦しい。またメモをする。

早鐘のような心臓の躍動を感じながら、止まればいいのに、と思う。止まらない。体は生きようとしている。何かを終える、何かが終わる、死ぬべき瞬間が来るまで。

こんな悲しい気分を晴らす方法はどんなものがあるだろう?今から駅前でフリーハグでもしようか?などと突拍子もないことを考えはじめる。

攻撃的な相手を「祝福」することで自分が強くなれる、みたいなことをオノ・ヨーコは言っていた。目に見えて相手や状況が変わらなくても、自分が強くなることで、きっと世界は変わっていくのだろう。

だけど、今の状況も思考もすべて「滑稽」だと感じてしまう自分もいる。

30年以上前のことがずっと終わらない。暴力が連鎖している。トラウマの物語には罪人しか出てこない。私も含めて。

生き地獄から抜け出すために、私の世界を天国、とまではいかなくても、地獄ではない場所にしなければならない。

絶対にこのループから抜け出すと決めた。

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