あまみず𓃠

📍Love Myselfの旅の途中¦明るくはない思考を綴る雑記帳¦虐待サバイバー

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最近の記事

足枷と兆し

「子供の足枷になりたくない」 「子供には誰よりも幸せになってほしい」 と話している人がいた。 私の親は、こういう想いを子供に抱けなかった人間なのだと思う。それが良いとか悪いとかじゃなく、ただ、そういう種類の人間だった。 私にとって家族は、昔も今も、足枷でしかない。簡単に人に話せないことが多すぎる。誰にも言っていないnoteにも書けない、書きたくない話が多すぎる。口に出すことがすべて本当のことだったらいいのに、と思ってきた。今はそう思う度に私の中の大人が、ずっと隠していた

    • 「笑」を探そう

      このところ、他人の日記(note)を読むのが楽しい。noteにいる人たちって、いちいち違和感に引っかかって、いちいち立ち止まって、いちいち確認せずにはいられない、考えることをサボらない(サボれない)面倒くさい性質の人たちが結構多い気がして勝手に親近感を抱いている。 もし世の中に自分みたいな人しかいなかったら、人と人の距離はなかなか縮まらないし、話もなかなか進まず発展もあんまりしないと思う。だから他のSNSやブログに住んでいるタイプの人たちもみんな必要でみんな違ってみんないい

      • 世界が大丈夫に思えるとき

        「恐怖の記憶を抱え、どうしようもないほどの無力感と弱さに羞恥を抱えながら生きていくのには、途方もないエネルギーが必要とされる」 今読んでる本に出てきた言葉。 あまりにも自分にしっくりきて、しっくりきすぎて少し悲しくなった。 私はずっと、どこかで自分自身を「恥ずかしい存在」だと感じてきたし、些細なことでサバイバルモードになるバグった脳と身体にずっと疲れている。 疲れ果てて、どこか遠くへ行きたい、自分以外の誰かが生きている世界を見たいと思うとき、音楽やアートがいつもそれを

        • 「パリの砂漠、東京の蜃気楼」が刺さりすぎて

          金原ひとみのエッセイ、「パリの砂漠、東京の蜃気楼」が刺さりすぎて痛い。 その理由は、西加奈子の推薦文を読んで腑に落ちた。 巷に溢れる「自分を愛そう」とか「自己肯定感」とか「自分軸」という言葉、幸福と繋がる道はたぶんそっちの方向にあるのだろうとは思う。 でもそれらが私とは一生交わりそうもない遠い世界の言葉に聞こえるときもある。 私は外国に住んだことも結婚したことも子供を産み育てたこともないし、小説も書いたこともなく創造の苦しみも知らない。 エッセイを読んでいても金原ひ

          不信を克服したい

          今年からある心理療法を受けている。 いつか、今より回復して書ける時期が来たら書こうと思う。 次のカウンセリングに向けてホームワークに取り掛かったのだけど、直後にすべて投げ出したくなった。 生まれたときからの年表を作るという、過去の記憶を掘り起こすワーク。 脳が活性化されて、いろんな感情が掘り起こされて、とてつもなく気分が悪くなった。 あの日あの時の、冷たい視線、張り詰めた空気、怒鳴り声、歪んだ口元、叩かれるときの鈍い音、息ができない痛み、冷たい水、コンクリートの上で冷

          不信を克服したい

          愛について

          若かりし頃、周りの人たちは毎日「死にたい」とか「消えたい」とか思ってないんだと知って衝撃を受けた。 それなのに分かったような顔で他人を「メンヘラ(笑)」と笑い者にしたりする人たちが怖かった。 分かったような顔をして誰かを笑いたくないし笑われたくもない。 だけど、私もきっとどこかでやってきたし、やっているのだろう。 多数派のふり、「まとも」なふりをして。 そんな人間であることが嫌になる。 ふと、こういう話を誰かに対面で話したい、という衝動に駆られる。 誰かの似たよ

          母の日の憂鬱

          小学生の頃、学校で「お母さんいつもありがとう」という手紙を書かされた。 家に帰ったら手紙と一緒にお母さんに渡すようにとカーネーションも1輪配られた。 それらを家に持ち帰り緊張しながら継母に渡した。 さっき起きたばかりの不機嫌そうな表情をした継母は鈍重な動作で受け取り、その後こちらに向かってなにか言ったような気がするけれど覚えていない。 昨今、こういった暴力的な活動が学校からなくなっているのか気になる。 お母さんがいない家もあるし、いても「お母さんありがとう」と言える

          母の日の憂鬱

          私も大切に扱われたかった

          高校生の頃、お弁当のデザートにいつもフルーツを持ってくる友達がいた。 具が異なるおにぎり2つに卵焼きといくつかの野菜のおかずといったバランスのいい手作り弁当のデザートとしてフルーツがついていた。 リンゴは美しいウサギ型にカットされ、変色防止のひと手間がかけられていることがわかる色をしていた。 薄皮まできれいに剥かれたグレープフルーツの果肉はピカピカと光っていた。 果汁が多いものは漏れないようにラップにくるまれた状態で、小さくてかわいらしいタッパーに詰められていた。

          私も大切に扱われたかった

          雨の朝、出かけようか迷いながらぐるぐる考えたこと

          以前、某K-POPアイドルのアメリカ公演で導入されたダイナミックプライシングが物議を醸したことがある。 ダイナミック=動的なさま。力強く生き生きと躍動するさま プライシング=価格設定 名の通り、価格が変動する仕組みのこと。需要が高いものは高く、低いものは安く。今後、当該アイドルの所属事務所の海外公演ではこのシステムが導入されるとかなんとか言ってた気がする。 座席位置によって料金を変えること自体は妥当だと思う。問題になったのは、5万円のチケットを選んで数秒〜数分後に決済に

          雨の朝、出かけようか迷いながらぐるぐる考えたこと

          自然不自然

          アスファルトの上を歩くときに感じる違和感がある。 歩きやすくならされた道は、晴天が続いても砂埃は起きないし、雨の日にぬかるんでそこらへんが水たまりだらけになったりもしない。 私は、自分は都市の中でしか暮らせないと思っているのに(今のところ)、毎日舗装されたアスファルトの上を歩いていると、どこか生き方が間違っているような気がしてくる。 いま一緒に暮らしている猫がいつか死ぬときのことを考える。 とても快活な子だから室内での暮らしはきっも物足りなかっただろう…と思うだろう。

          もう二度と生まれてきませんように

          希死念慮がどうしようもなくまとわりついているとき、「死にたい」と検索してみる。 YouTubeで首吊りロープの結び方を解説している動画を見て、そのコメント欄をくまなく読んで落ち着く。 むかし、練炭による事故で生き残った方のブログを読んだ。それによると自分が倒れた記憶も救助されるまで苦しんだ記憶も一切なかったらしい。だから練炭だったら気を失っているうちに死ねるのかもしれないと考えたりする。 希死念慮は一時的にやり過ごせば、なんとなく大丈夫になったような気がする。でも調子は

          もう二度と生まれてきませんように

          いのちは闇の中のまたたく光

          https://www.tokyo-np.co.jp/article/253622 ニュースを読みながらグリーントランスフォーメーションという響きにイラッとしつつ、東日本大震災の日のことを思い出した。 職場のTVから原発爆発のニュースが流れてきてざわつく休憩室。 同僚のひとりが、 「え?絶対大丈夫だよ。うちのおじいちゃん原発で働いてたけど、そんな簡単に壊れるものじゃないよ」 と、心配するなんてバカバカしいと言わんばかりの声色で言い放った。 おじいちゃんが原発の安全

          いのちは闇の中のまたたく光

          心に寄り添うことの難しさ

          吉川ひなのが宗教2世だったという記事を見た。 幼い彼女が芸能界で稼いだお金で生活していた両親は、娘の将来のために貯金をするわけでもなく豪邸に住み贅沢に暮らしていた。 彼女の心が限界をむかえて、それまでのように働けなくなっても、自宅までやって来てお金をせびる父親。 宗教上の理由で子供たちの誕生日を祝ったこともなく輸血も禁じていたのに、自分が病気になったらあっさり輸血を受けた母親。 両親に生活力がないせいで、子供の頃は電話や電気が止まったり、訪ねてきた借金取りの対応をさせ

          心に寄り添うことの難しさ

          狐と狸の化かし合いを目の当たりにして人間不信に陥っている私に刺さる言葉。大人の人間同士のコミュニケーションは難しい。適切な距離感、伝える質と量、言葉選び、表情、態度、タイミング…「いい塩梅」というものが一生分かる気がしない。正しいことや愚直さはいつも助けてくれるわけではない。

          狐と狸の化かし合いを目の当たりにして人間不信に陥っている私に刺さる言葉。大人の人間同士のコミュニケーションは難しい。適切な距離感、伝える質と量、言葉選び、表情、態度、タイミング…「いい塩梅」というものが一生分かる気がしない。正しいことや愚直さはいつも助けてくれるわけではない。

          分かるということ

          ニュートンが万有引力の法則を発見する前から林檎は木から落ちていた 前に通っていた整体の先生の言葉。 真理だと思う。 人間は(と、デカい主語を使う)、人間の言う科学的根拠の前に自然界の原理原則があるということを忘れてしまう。 自分の中で定義できていないのに外側にある誰かが言った根拠を頼りにしてしまう。 ヒトが万有引力の法則を発見して定義する、そのずっと前から法則は働いていた。 だから、現代の人間の世界で、人間の理屈で、証明できていないモノが存在しないとか間違っているわ

          分かるということ

          応援と消費とフェイクとリアルの狭間で

          K-POPアイドル沼に足を踏み入れ早2年弱。 その間に見てきたアイドルビジネスの在り方や度重なる推したちの炎上やファン同士の争いなどを通して感じたことをただひたすらつらつら書いてみるnote。 (長文な上、有益な情報は皆無なのでお暇な方だけどうぞ) K-POPアイドルの世界を知っていくと日本とは異なる応援方法やファンの熱量の高さに驚くことがたくさんあった。特典や売上のために数枚〜何百枚もCDを積んだり延々スミン(ストリーミング音源の再生)するのが当たり前の世界で、あらゆ

          応援と消費とフェイクとリアルの狭間で