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旅に出ていく春

この頃は夜よりも朝のほうが寂しく、心細い。
わたしはついに入社式を終え、まもなく新社会人になろうとしている、4月がすぐそこまで来ている。
3月に入ってから、心も現実も大きく変わっていく予感を無視できなくなった。絶対これから忙しくなる、その前に自分に向き合って、いま立っている場所を確かめたい。


入社式の1週間ほど前、忘れられない、これからも忘れることはないであろうあの人が、心を切り替えて前に進んだところを見た。とはいえ直接会ったりそれを聞いたわけではなく、繋がっていないSNSの投稿とプロフィールを見て、こちらが勝手に察しただけなのだけれど。でも別れてからは一切動いていなかったアカウントが、急に色々と新しくして投稿し始めたのだから、そういうことだ。もう別れから1年半近く経っているのに今になってまた動揺し、落ち込んだ。よくよく考えれば今さら落ち込むことなど何もないと、あとで冷静になって気付く。
プロフィールには将来の目標に向かって頑張り始めたことが書かれていて、よかった、応援してます。
今までちょくちょく覗きにいっててごめんなさい、あの人が生きているのを確認できて、安心したから、これ以降は見るのをやめます。どうか元気でいてね。

「できればずっと引き摺っていてほしい」
そんな気持ちも全くないといえば嘘になる
寂しいし、わたしを忘れないでほしい。
けれどあの人に悩んで悲しんで、苦しんでいてほしい訳では決してない。笑っていてほしい。お互いが一緒には居ない今を、再会できるのかさえわからない今後をきちんと受けとめて、傷を抱えたまま前を向きたいし、あの人にもそうであってほしいと願ってしまう



それから入社式まで、心許なく宙ぶらりんな時間を過ごした。「あぁ自分は本当に独りなんだなぁ」と改めて実感した。あの人が前を向いたことで、わたしの帰る場所は本当に1つもなくなってしまったんだと、だから私も前を向くしかないと覚悟を決めた。あの人の今がどうであれ、わたしの心の中に、あの人は確かに存在している、だから生きていける。
ただ、なぜか夜よりも朝がすこし心細くなった。また1人で今日を始めていくことが、どうにも心細いだけだ。



そして入社式当日。それまで数ヶ月にわたり、気が沈むほどガチガチに固まっていた緊張が、嘘のように解け、逆に元気になっていた。ここまで来たらともう行くしかないと開き直った。ツイッターでそれを呟いたら、FFたちが「行ってらっしゃい!きっと大丈夫」と声をかけてくれた、おかげできっと大丈夫だと思えた。本当にありがとう

会場で指定され座った席の隣には、以前会って話したことのある同期が来た、本当に偶然だ。会場の規模もそれなりに大きく、何回かに分けて開かれるこの入社式で、まさか隣の席にくるなんてと驚いた。「初めまして」の顔が揃う場で、この子が隣にいたおかげで力を抜いて笑えたし、またこの子と話せて嬉しかった。


入社式を終えたあとは、会場から数駅離れた街をお散歩した、なんとなくまだ帰りたくなかった。そこは桜の名所として有名な川のあるところ。ネットで調べると雑貨屋さんが多いらしく、店を巡るお散歩マップが載っていた。都内とはいえ、渋谷のような人の忙しない街は気分じゃなくて、ほどよく落ち着いて、散歩しがいのある街を探していたからぴったりだった。ちなみに見出しの写真はお散歩途中のものです。


わたしの地元は畑と住宅街の広がる車社会のとこなので、個人の服屋さんやレストラン、雑貨屋さんや美容室、ケーキ屋さんが道に並んでいるのを見るだけで心が躍る、5分歩くだけでいろんな発見がある、わくわくする。
川沿いを歩き、ネットで見て人気だという雑貨屋さんを巡り、パンプスを履いた足が疲れたタイミングで、雑居ビルの2階にあるパスタ屋さんに入った。式でも軽食が出されたけれど夕方にはお腹ぺこぺこだった。そこでキノコと牛肉のペペロンチーノを食べながら、ぼんやりと1日を振り返る。


美味しかった〜



この日だけで大勢の人を見た、スーツを着て、自分と同じ立場にいる人たち。そして先輩の社員さんたち。それぞれの配属先も知らないけれど、これからはこの会社に所属するし、ここにいる人たちと出会っていく。
そして式後に気まぐれで寄った街。
地元はもう窮屈で息苦しくて仕方ないけれど、電車に揺られて、出ていってしまえばこれだけ景色が違うこと。世間は狭いとよく言うけれど、世界は広い。自分から動き出しさえすれば、いくらでも新しい景色を見れる。1人で歩くのはすこし心細かったけど、それよりずっとわくわくしていた。



大切だった居場所と大好きな人たちと、最悪な別れを経て、もがいて苦しんで、やっとこの日を迎えることができた。
思えば出会うときも別れるときも、ほんの一瞬で案外あっけなかった。別れの後がどれほど辛くても生活は続いてしまうのに、生活する上でずっと居られる場所は存在しない。
何事にも必ず終わりがくる。それならば自分の居る場所は、何ヶ所でも多く持っていたい。狭い世界では終わらせない。常に広く新しい景色を見つけたい。
いつかは別れてしまうから、1つ1つの出会いや人からもらった優しさに、愛にしっかり気付いて、ありがとうって伝えたい、謙虚に人と関わりたい。
好きなものも幅広く多く持っていたい、それらは誰にも頼らず、自分で自分を楽しませる術となってくれる。
こうしてこの1年半で得た気づきや考えたことは、きっとこれからの自分の助けになってくれると信じている。




そしてつい数日前「四月になれば彼女は」という映画を観て、原作の小説も読み終えた。そこに自分の過去も重ね合わせて思ったことがある、それは


誰かを完全に解ることは絶対に不可能で
どんなに長く一緒にいても、どれほど好きでも
その人の心を知ることはできない。
お互いの愛が等しく重なる時間もそう長くない。
心は瞬く間に変わり続けるから、生きているから。
「相手はこう思っているだろう」とわかった気になっている時点で、いつだってそれは傲慢だ。


けれどそれを強く胸に刻んだ上で、少しでも多く知りたいと、少しでもその人を解りたいと見つめ続け、声に耳を傾け、静かに受けとめ、寄り添い、自分も伝える。大切な人と心を重ねる努力を怠らない人になりたいと、そう思った。




これから色んな場所へ出ていく
たくさんの景色を見にいく
色んな人に会いに行く
自分も知らない自分に出会っていく
そこに留まらず、旅にでる



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