波が引いて
前回のnoteから2週間が経って
もうすっかり秋になった。
何度も打っては消すを繰り返しているこの文章、
ぼんやりしてるとあっという間に
9月に置いてけぼりされてしまう。
つい先月末まで、言い表せないほど
強い鬱の波に飲まれていてやっと、
少し落ち着いたところだ。
鬱を抜けられたのはいいけれど
今の私は、私のことがよくわからない。
なんだかふわふわしている
まだなんにも大丈夫になっていないのに
心はただ静かに
停止してしまったみたいだった。
特に気が沈んではいないはずだけど
いまだに寝込んでしまう日も多い。
そしてうまく頭が回らなくてぼやけている。
もうこれ以上は苦しまないようにって頭も
強制シャットダウンされたのかもしれない。
8月の始まりから終わりまでのほとんど、
本当に生きた心地がしなかった。
眠っているのか起きているのか
泣いているのか、いないのかさえ曖昧な
意識の中で「私は消えなくちゃいけないんだ」と
自責のような、強迫のような鋭い思考が
はっきり頭にこびりついて離れなかった。
ああこの感じ、またかとも思った
まさかまだこんな地獄があったとは、
去年の10月のとき以来、2回目のどん底だった。
布団に寝込んでは消えたがっている毎日だった。
そんな鬱の波がどうして落ち着いたのか
それは話を聞いてくれた人たち、
私に会ってくれた人たちがいたからだ。
今振り返ってみても意味わからないんだけど
1カ月前の私は、こんな状態のまま
友達に会いに行っていた。
ずっと前から会うと決めていた約束を
私のせいでドタキャンするのは嫌だったし、
この際自分のことは全部どうでもいい
この後死ぬかもしれないから
その前に友達に会わなきゃっていう、
ネガティブなのかポジティブなのか
よくわからない気力を振り絞っていった。
友達と顔を合わせてからは
まるで鬱なんて知らない人みたいに振る舞った
とにかく明るく、沢山笑ってたと思う。
だけど、久しぶりに会ったその子の全身から
滲む優しくて柔らかくて、暖かい空気に負けて
その日の最後、その子にだけ自分の苦しさを
話してしまった、抑えきれなかった。
その子は、ひたすら話を聞いていて
自ら深く詮索しようとはしてこなかった
私の口から出る言葉を全て受けとめてくれた。
その上で、今の私と少し似た経験があったことを話してくれて
「甘めが今まで頑張ってきたことは知ってるから、いつまででも応援してる、お金のこともあって大変だと思うけど、人生の中の半年だと思って頑張ってほしいなぁ」と背中を押してくれた。
その子の暖かくて、重みのある言葉を
無視はできないと思った。
その他の友にはやっぱりどうしても、
自分の死にたさを打ち明けるなんて
心配をかけたくなくて無理だったけれど、
昔から変わらずそこに居て、笑ってくれるだけで何かが和らいだ。
そして甘めのTwitterで繋がってくれた人達から
どれほど暖かい言葉を受け取って生かしてもらったか。
結局わたしはどこまでもみっともなくて
弱い奴だから、こうして誰かの暖かさに
生かされてるんだな、とここまで文章に
起こしてつくづく思う。
どうしたら自分ひとりで立てる強い大人に
なれるんだろう
みんなには「ありがとう」だけじゃお返しには とても足りないのに、他に言葉が見つからない。
ありがとう、本当に
もうすでに起きてしまった現実は
どうにも変えることができなくて、
受けとめるしか方法がない。
その中で唯一幸いだったのは
これ以上最悪な状況が、より最悪になることは
ないだろうという見通しがついた所。
もうしばらくは、息苦しくて不安が続くのが
目に見えていて、気が遠くなるけれど。
だから心も頭も停止してしまっているのかも
しれないけれど、ひとつだけ言いきれるのは
「ここで辞めたら駄目だ」ということ。
いま抱えている辛さ苦しさが消える、
その時までは
耐えて待ってみないと損だということ。
半年後には就職して社会人になることが
決まっている。
そこまではなんとか生き延びる。
まぁ結局、就職したらしたでまた新たな
波に揉まれるんだろうけど。
就職後の不安まで考えたらキリがなくなる。
それでもその先には
「あの時死ななくてよかった」
と思える未来がありますように。
またこの先で波に飲まれたとき
その波には勝てなくても、負けないように。
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